コラム:咲 阿知賀編その6〜場面と台詞から類推してみると…〜


※使用している画像について
今回は既に単行本化されている範囲では本編・阿知賀編共に単行本から撮ってきました。
2013年1月の段階で未収録のもの、あるいは見開きのページなど私の環境では撮りにくいものについては
ヤングガンガンまたはガンガンの雑誌から引用しています。



いきなり脱線気味な話から


去年ネットで知り合った同じ玄ちゃん好きの方が勧められていた
「花もて語れ」(片山ユキヲ・小学館)という漫画を読みました。

朗読という、地味と言えば地味なテーマのお話なのですが
物語の記述・・・場面の描写や台詞などから作品の雰囲気や登場人物の心情、
ひいては物語を書いた作者の意図を想像して、お話を読むという展開になるほどと思いました。

宮沢賢治の「やまなし」なんて子供の頃読みましたが、わけわからなかった。わけわからなかったもの!
でも「花もて語れ」で久しぶりに「やまなし」に触れて、ああ、そうか、そういうことなのかーとやっと納得しました。

もちろん提示されたのはあくまで一つの「解釈」であり、正しいとは限りません。
でもせっかく読むのだから、自分なりに考えて、読み込んでみるともっと面白いかもしれない。
正解かどうかはわかりませんが、あっていれば嬉しいし、間違っていてもそれはそれで。



阿知賀編のコラム、今回で6回目になりますが
このコラム、特に前回と今回のをまとめたのは、上に書いたようなことがきっかけです。
漫画には絵と言葉を通していろいろな情報が詰まっている(と思う)ので
「考えすぎー」「それ違うー」てのも多分にあることは重々承知の上で、
背景やキャラクターについて想像してみるのも楽しいかも?というところですね。

今回は主に阿知賀の5人について、場面や台詞を読んでふと思ったことを足がかりに、
これまで出てきた様々な状況なども組み合わせたりしながら、
キャラクターの性格や心情などを類推してみようと思います。

毎度のことながら、今回もあくまで「私はこう思いました」ということでして。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるみたいな感じでいくつかピックアップしてみようと思います。
例によって例のごとく、付き合ってくださる暇があれば以下へどうぞ、お願いします。



※各項目へのジャンプ

 1.女子三年会わざれば…?(このすぐ下です)
 2.ルールゆえに
 3.記憶力から考えるキャラクター
 4.麻雀部再結成のやりとりから考える松実姉妹の今昔






1.女子三年会わざれば・・・?

「憧、おまえっ・・・」
先ほど電話したばかりの旧友の登場に驚く穏乃さん

「晩成に行くん・・・」
久しぶりに見た旧友の見違えるような成長ぶりに驚く穏乃さん

「じゃ・・・」
一方、BEFORE=AFTERな穏乃さん・・・


「わああああーっ」


ご存知、1巻のカバー裏にある「咲阿知賀編残酷物語」です。

これはストーリーの一幕をもとにした、あくまでパロディ(実際にはなかった)だとしても、
そりゃあ穏乃はびっくりしたでしょうね。
もちろん読者(私)もびっくりだ。



でも離れ離れになっていた3年の間に、
「憧がかつてとは全く違う様子になっていた」とまで言うとしたら、それはちょっと違うかもしれませんね。
確かに、憧は見違えました。
でもそれは小学生時代の、穏乃も知っている頃の憧をきちんと「基礎」にして、今のこの姿があるんだと思います


これを説明するためには、小学生時代の憧をもう一度振り返ってみる必要があるかな、と。
そこで1巻p37〜40にかけて、1コマずつ描かれている
当時の思い出の場面を憧中心で抜き出してみました。

  左上から順に
1.花見
2.部室内
3.夜のコンビニ前
4.赤土さんの誕生会

下段
5.河水浴
6.ピクニック?
7.アイスを食べる
8.「みんなといると楽しい・・・っ」 
 


毎度私の環境だと、画像に色ムラが出てしまって何ですが、おわかりいただけたでしょうか?全部服違うよ!
いずれもそんなに値が張りそうな、凝った服ではありません。フリルをあしらったドレス風の和に比べれば地味なものです。
しかし、常時ジャージの穏乃、制服の玄、クラブの子どもたちも服に目立った変更はなし

和についてはリボンなどの違いからいくつかのバリエーションがあるのがわかりますが
これとこれは同じ服かな、というのも見受けられます。
(たとえば初めて麻雀クラブを訪れた時、赤土さんの誕生会、みんなでアイスを食べている、
 赤土先生の話をしている、壮行会の場面では背中のリボンの有無があるものの、基本同じデザインの服)

赤土さんがスカウトされた日と
壮行会の時だけは同じ服のようですが・・・
(赤土さんと和の服の違いから、
 それぞれが別の日であることがわかります
 熊倉さんが帰ってしばらくの時点で
 時計が5時前を指してるので
 そこから準備をできるとも思えないですしね)


周りの服装に大きな変化がない(そしてそれは漫画ではよくあること)なか、
一人これだけ変わると言うのはなかなかのものです。アニメでもこのへん、きっちり毎回違う服を着ています。
「ずっと同じ服」は漫画やアニメではよくあることであり、阿知賀編においても他のキャラについてはそうなのですから、
それだけに、憧の服の違いは意図的になされているものです。
憧には年の離れた姉(望さん)がいるので、そのおさがりが一部含まれていることも考えられますが
憧が当時から服にとても気を配る子であったことがこの辺からわかるのです。


さて、毎回変わる当時の憧の服、ここに注目してみると気づくことが2つあります

一つは、桜の季節でも夏を過ぎても、ことごとく「半袖または袖なし」であり、
寒さに負けない元気な子であったことがうかがえます。
(唯一コンビニ前の場面では上着を着ていますが、これは夜の時間帯なので)

体力の塊みたいな穏乃と一緒だったのですから、瞬発力などでは及ばないにしても
穏乃と肩を並べて「子どもは風の子」を地で行くような快活な毎日だったのでしょう。
 
ダッシュ力で二人とまるで勝負にならない当時の和さん⇒

そして、もう一つはどれも「スカートではない」ということ
(厳密に言うと、これもコンビニ前の場面。ここだけスカートですが、下にスパッツ履いてますね)
これも穏乃と一緒の外遊びが多かったことと関連するかと思いますが
体を動かしやすい服装を好んでいたことがわかります。

ここまで見たところ、こう言うと語弊があるかもしれませんが、あまり「女の子らしい」服ではありませんね。
だからこそ、3年間で女子力が急上昇してる姿に穏乃がびっくりするのも無理ないわけですが



小学生⇒中学生に進むにあたって、憧がここまで変わったきっかけは
そういう年頃だからというのも勿論あると思いますが、一番はやはり「制服」の存在でしょう。
小学生当時の穏乃・憧・和の登校の様子を見てわかるように、彼女たちが通っていた小学校には制服がありませんでした。
一方、阿太中にはあります。もちろんスカートです。
それまでスカートに履きなれていない憧からすると、初めて制服を着た頃はさぞかし気恥ずかしかったことでしょう。

制服を恥ずかしがると言えば、思い浮かぶのは千里山のセーラですが、
セーラは特にその気持ちが強いにしても、
今まで着慣れていなかったものを身にまとうと言うのは結構な苦労なのです。
当時の憧もしばらくは落ち着かない日々を過ごしたんじゃないでしょうか。
(準決勝での健闘から、セーラにも認められていた憧ですが、
 案外この辺からも、セーラとは気が合うかもしれませんね)

泉を励ましたり、憧を称えたり
セーラは友達になれたら楽しそう相手ですね


でも、コラム1でも触れたように、そこは順応力の高い憧のことです。
穏乃や和とは道を違える決意をしてまで、麻雀のために阿太中へ進んだこともあり、
その環境にいち早く慣れようと努力したことは間違いありません。
制服くらいでつまずいてなんかいられない。
「小学生の頃から服装に気を使う子だった」ことも相まって
中学の3年間を通して、外見の点でも自分を磨いたのではないでしょうか。

小学生の頃とは見違えていれば見違えているほど、
それは憧の努力の証だと言うこともできるのです。

一人阿太中に進んだのはひとえに麻雀のため


そんなわけで、阿知賀へ戻ってきた時の憧の姿には正直「びっくりだ」
しかしそれは彼女の性格と彼女が身を置いた環境からすると「必然だった」と思うのですが、いかがでしょうか?


  ところで、準決勝大将戦に赴くにあたって
  いつもジャージの穏乃に対し、憧が
  「セーラを見習って、試合ではちゃんと制服を着なさい」
  と持ちかける場面があります。

  それまで口出ししなかったのは
  上述の通り、憧自身、制服への抵抗感を持っていた時期が
  おそらくあったと思うので、穏乃がいつもジャージなのも
  「それもシズらしい」と、ごく自然に受け入れていたのでしょう。

  でも(実際には船Qの指示で、やっぱり本人は嫌々なのですが)
  セーラが試合の時とそうでない時とでしっかり使い分けているのを見て
  日常ならともかく、阿知賀の代表として出る時くらいは、と思うようになりました。
  この考えの改めは、一緒に対局したセーラ(と間接的に船Q)の影響ですね。
  セーラが憧を認めたのと同様に
  憧もまた、セーラの存在に一目置くようになったしるしだと思います。

  しかし、ちゃんと着ろと言っても、穏乃が会場に持ってきているはずもなく・・・

 
この時の「ちゃんと制服着ろ」と戻される
コマ割りがセーラの時とそっくり
  それで自分の服を貸し、
  憧は穏乃のジャージを着てしまうと言うのが面白い。
  ちょ、お前さん、そんな格好でどうするつもりよ。

  だって、今はインターハイ準決勝、その会場ですよ?
  阿知賀が勝っても負けても高確率でインタビュー等があると思うんですが
  大丈夫??
  「うむ」

  ・・・うん、まあ、大丈夫そうだ
  服の取り換えと言えば、冒頭の阿知賀残酷物語の裏面には
  穏乃と和がそれぞれの服に着替えた姿を見て
  「おそろしく似合わない!」と憧が唖然とする場面がありました。
  これもご存じ「咲阿知賀編残念物語」

  これもパロディですけど、以前と同じようなことを
  今度は憧が主導でやっているというのも面白いですね。
  当時の憧が唖然としたのはあくまで交換した結果にであって、
  交換そのものには抵抗感なかったようですし

  今回も開口一番は「えー」と言いつつもあっさり応じちゃう穏乃といい、
  見た目の変化はともかく、中身は案外二人して 

  BEFORE=AFTER なのかもしれないですね。
 






2.ルールゆえに


「昔ねぇ・・・
 私の頃は県代表になったら
 練習試合をしちゃいけなかったんだよ」
「ん・・・小学生とも?」
「そう」

「ところが今は規定が変わって
 代表校同士じゃなければ試合してもいいらしい」(1巻p179)

全国大会進出を決めた後、今後どのように練習していくか
遠征に行って、各県の2位と練習試合をしよう!という方針を打ち出す際に
赤土さんが語った思い出話です。

なんで昔は駄目だったんでしょうかね?
最初っからそういうルールだったのか、それとも何か過去に理由(不正?)があってそうなったのか。
小学生ともダメと言うのはかなりきつい縛りです。


それが今の、「代表校同士じゃなければOK」という形に変わった、
この理由はわかります。

メリットないですもんね。
せっかく全国出場を決めた「伸び盛りの選手」ばかりなのに
予選→本戦まで約2か月もの間
部内以外では練習をしてはいけないというのは
交流する場も、互いに切磋琢磨する機会も奪ってしまい、
麻雀界から見てもプラスには働きません。

またそこまで厳格な縛りをかけるのであれば
全国出場者には常に誰かがチェックするくらいの
「人の目」が必要だと思いますが
現在のルールでさえも調べているのか怪しいのに
もっと細かく厳しくというのは、まず物理的に無茶な話です。

基本的に参加する学生たちの自己申告
つまり良心に任せているような節がありますから、
それならある程度は認めてあげないと。
ということで妥当なところでしょう。

周りに大会関係者もいないので、
「黙っていればわからない」で済ませてもよさそうなものですが
阿知賀との練習にあたり、卓での対戦相手を
ルールに配慮して組んでくれる荒川さんとその友達。律儀です。

本編の方で藤田プロとアナウンサーが話していましたが
このインターハイのルール、割とよく変わるようです。
去年までは赤ドラが入っていなかったようで
「今年は運の要素が強すぎる」と藤田プロが指摘しています。

また、赤ドラ4枚あるのにダブル役満はないことを指して、
優希が「ヘンなルール」と言っている場面もあります。


大会関係者の意図がどのあたりにあるのかは不明ですが
(藤田プロ曰く「特殊な子を選り分けるためのように見える」とか)
毎年の状況に応じてルールを変えていくのは
この大会においては
ことさらに珍しいことではないのかもしれません。

赤ドラがなければもうちょっと柔軟に打てる人↑

ダブル役満以上がありならとんでもないことになる人↑
(教えてもらったところによると、トリプル以上も狙えるのだとか)


まあ、そんな運営側の思惑を今考えてみてもしょうがないので、
今回ここでおさえておきたいのは、代表校になると、「昔は今以上に交流が制限されていた」
他校はもちろんのこと、「小学生とさえも」打つことを認められていなかった。
このようなルールがかつて存在していた。


だからこそ、インターハイを終え、つまり惨敗して帰ってきた時分になって

鷺森灼は赤土さんの前に現れたのです。

「赤土さんのファンだった」と宥姉にも覚えられていたほどの灼が
ギバード桜子たち今の阿知賀こども応援団のように、
麻雀部を訪ねるようなことはしなかった。

行かなかったのではなく、行けなかったのです。
赤土さんの牌譜を読み、高一で部長を務めていたことも知っていた灼です。
これから赤土さんたちが進む全国大会について、きっと調べていたはず。
そして出場校に関するルールにもほどなく気づいたのでしょう。

あるいはそこまで厳密な縛りではなかったかもしれませんが
灼の性格からして、「ハルちゃんに迷惑がかかっちゃいけない」と
我慢していたのだというのは想像に難くありません。
初出場を決め、みんなにもてはやされている時には、そっと身を引き
負けて帰り、落ち目になった時にこそ励ましに来る・・・

鷺森灼、当時小学一年生。ファンの鑑です。
 

しかし、それだけに「これからも応援してます!」と伝え、ネクタイを貰ったにも関わらず
赤土さんが麻雀から引退状態になったと知った時のショックはどれほどのものだったのでしょう。
もちろんそこまでこの当時の赤土さんには知る由もなく、その責を問われる謂れはありません。ですが、

「ハルちゃんが麻雀やらないなら、私もやらない・・・」

灼が子ども心にそう決めてしまったのも無理からぬことだと思います。


こども麻雀クラブのことを知っていて入らなかったのも
ルールのこともあり、子どもの頃の灼にとって、赤土さんは近づけない存在でした。
そんな赤土さんが今は近所の子どもと身近に接している・・・

「子供と戯れるあの人なんて見たくない」

当時とのギャップへのとまどいを、自分の中で消化しきれなかったのでしょうね。




しかし、このような憧れの反動から生じた赤土さんとの心理的な隔たりは、
麻雀部での活動を通して次第に埋まっていきます。


考えてみれば、灼が赤土さんのもとで麻雀を打つと言う今の状況に至るには
あたかもゲームのフラグ立て・・・というと変なたとえですが、偶然も含めたさまざまな積み重ねが必要でした。


かつての灼にとっては不本意でも、牌を持つ気力さえも失った赤土さんが
麻雀への熱意を取り戻し、かつ後の麻雀部復活の土台となるためには、「こども麻雀クラブ」の存在は必要不可欠でした。

クラブでのリハビリを通して「自分がどれだけ麻雀が好きだったか」を思い出した赤土さんは
熊倉さんのスカウトを受諾し、福岡の実業団チームに入団する。

しかし、親会社の経営悪化で実業団チームは解散し、
チームがなくなっても社員でいられるという配慮はあったものの、やはり居づらく、赤土さんは阿知賀に戻ってくる・・・


この「手順」のいずれが欠けても、今の灼と赤土さんの関係はありません。
さらには、5人目の麻雀部員のために「宥姉が勧め、穏乃の頼みを受けて玄が誘いに来る」
そもそも麻雀部復活のきっかけである「和がインターミドルで優勝する瞬間を穏乃が見る」
こんなところまで含めてみると
灼が麻雀部で、あまつさえ部長として、赤土さんと共にいるのはものすごい運の上に成り立ったことなのだと言えるでしょう。


「ハルちゃんも昔・・・こんな気持ちだったのかな・・・」

さまざまな過程を経て、かつての赤土さんのように部長として、
部をまとめる立場になった灼はそっと目端に涙を浮かべます。
昔は期待する側だった。でも今は自分が期待される側に立っている。


ルールを守って我慢していたのに、やっと前に出て「これからも応援してます」と言ったのに
ネクタイをくれた時は嬉しかったのに・・・なのにあの人は麻雀をやめてしまった。
灼自身も麻雀をやめてしまうのも無理もないほどの、子ども心に受けた一つの「挫折」


でも、同じ立場に立った今、
灼はきっと当時の赤土さんの気持ちをかみしめるようになったことでしょう。
出迎えも何もいらない、麻雀さえもやめてしまいたい
今まで自分が打ちこんでいたものさえ否定してしまうほど落ち込んでいた赤土さん。
それがかつての灼には知る由もなかったインターハイの重み。
期待に応えられなかった者の苦しさ。

そんな赤土さんが当時の灼の前では見せた気遣いと優しさ、
その象徴がこの「ネクタイ」だったのだと。

その思い出のネクタイを胸に、灼は戦います。
準決勝副将戦。こと収支に関する限り、新道寺の白水部長の大活躍が際立ち
それに比較すれば灼は前後半合わせて+10000と
大きく目立つものではなかったかもしれません。
しかし、今まで向かったどの卓よりも間違いなく強敵ぞろいの場で
前回以上の戦績を出した。
(2回戦では収支こそプラスでも、劔谷の森垣さんにまくられ、3位に落ちています)
この点だけとって見ても十分の大健闘でしょう。

 (もちろんこの重要な局面で一人沈みの最下位から一気に攻め上がり、
  大いに腕を振るった白水部長が見事なのは言うまでもなく。
  船Qもデータ分析で培った頭脳を生かしてやはり2回戦以上の結果でしたね。
  亦野さんは・・・ドンマイ、次がんばって)

お疲れ様、鷺森部長







ネクタイと言えば、灼に関して、もう一つ取り上げてみたいこの場面

第3話の冒頭、仮としては去年の夏から動いていたとはいえ、
春になって穏乃と憧が高等部に進学、あるいは編入
晴れて5人そろって「正式に阿知賀女子麻雀部始動!」となった日の朝

校門にいた赤土先生に
おはようございますと5人で挨拶をする場面があるのですが


・・・

・・・OK、ちょっと待ちたまえ灼ちゃん。


ネクタイの結び目下すぎるでしょ



年度が上がる(=こちらも正式に赤土さんが阿知賀教職員・麻雀部顧問として就任する)際に
これまでの蝶ネクタイから、あの思い出のネクタイに付け替えた、その気持ちはわかるのですが

出かけるときにキュっとしめて整えたはずなのに
なんでこんなに下がってるんだか


察するに、これはネクタイを締める時に
赤土さんのネクタイで、だけでなく、赤土さんと同じような感じでまとめたかったんでしょうね。
蝶ネクタイをしている他のキャラクターを見てもわかるのですが、
阿知賀女子学院ではそんなにネクタイをきつくせず、緩い感じで身につけているのです。
10年前の赤土さんにしても同様です。

赤土さんの当時のネクタイの締め具合について
これが一番わかりやすいでしょうか?
(第2話。10年前の灼の回想シーンで、
 灼が赤土さんの前に初めて姿を見せた直後)

首元のボタンとの間隔に注目してください。
灼が最初にネクタイをした時にはボタンのすぐ下に結び目がきていますが
赤土さんの場合、ボタンとの間に少し開きがあるのがわかります。


普通にキュッと締めるのであれば、灼の最初の結び目の位置で何も差し支えはありません。
でも、灼が赤土さんとの思い出を大事にしてきた子なのは言わずもがなのこと。
(確かハルちゃんはもっと緩い感じで締めてたかな・・・?)と思い出し、緩めて緩めて・・・

こうなっちゃったんでしょうね。
灼の性格からしてわざとやってるとは思えませんから、素の結果だと思います。
鏡の前でやった時にはしっかり締めていたので、家を出た後になって調整しようとしたんでしょう。
たとえるなら控室で身支度を整えてきたにも関わらず、舞台に出る寸前になってずれてるところがないか気になるような・・・
あるいはテストでちゃんと考えて解答を書いたはずなのに、
見直しするたびその答えであってるのか、不安になって書きなおしたくなるような・・・そんな感じ

「さあみんなで赤土さんのところに行こう」という
いざその寸前になって人知れず何度もネクタイをいじっている灼の姿が想像できます。
けど、ネクタイって、慣れるまでは形とか長さのバランスとか、結構難しいものですからねー鏡も見ずにだとなおさら。


「そのままにしておけばよかったものを、一度気になるとしょうがなくなって」

「よせばいいのに手を加えてしまい、かえっておかしくなるという」

・・・そんな経験ありませんか?まさにこれです。



思い出のネクタイを締めている姿を赤土さんに見てもらいたかったに違いないのですが
どうにも見事に玉砕してしまっている感があります。残念。

赤土さんに自分が部長になるよう指名された時、
「しっかり者だから」と言われて、
自分より憧の方が・・・と話しているシーンがありますが


このネクタイで初登校の一件から、
「基本しっかりしている、けどどこか抜けている」
灼の微笑ましいおっちょこちょいが垣間見える気がします。



期待されつつも何となく小学生にいじられている感もある鷺森部長
ていうか灼ちゃん、そのファッションセンスはなんぞ。


しかし同じ3話で、その後の様子を見ていくと灼のネクタイの締め方はすぐに安定していきます。
慣れてきたというのももちろんありますが、
自分のネクタイを締めてくれている灼に赤土さんが声をかけないわけがないので
ちょうどいいバランスを教えてくれたのでしょうね。

自分が10年も前に渡したネクタイを持っていてくれた、嬉しくないはずがありません。
「下手な締め方」も、そんな普段ネクタイを身につけるのに慣れていない子が
この時のために用意してきたかと思えば、もうそれだけで笑みがこみあげてくるというものじゃないですか。


かくしてネクタイを通じて深まる師弟の絆。結果オーライ


  ちなみに繰り返しになりますが、この登校の場面、
  以前の玄の言葉通り、眼鏡にマスクにマフラーさらにコート・手袋と
  登校中はあからさまに不審者フル装備の宥姉が
  赤土さんに挨拶する時にはマフラー以外は全て外しています。
  ちょっとしたことですが、宥姉の礼儀正しさがわかる場面でもありますね。

周りがビビるのも無理もない、登校中の宥姉
   また、この場面、登校中は持っていたカバンをここでは全員持っていません。
  上述の宥姉装備の眼鏡やマスクなどはポケットの中だとしても
  コートも身の回りから消えています。
  おそらく一度部室かどこかに集まる約束をしており、全員揃ったうえで
  そこに荷物を置き、改めて赤土さんに挨拶しにいったのでしょう。

  「これからよろしくお願いします!」
  そんな5人の意気込みを感じてもらえれば。





3.記憶力から考えるキャラクター

個人的なことですが、私は今一つ記憶力が弱いです。
特に人の顔に関しては社会人として致命的じゃないか?と思うくらい苦手です。参った。
そんなこともあって、ストーリー上「それが当然」ということだとしても
きちんと会った人のことを覚えているのは素晴らしいし、羨ましいと思ったりします。

ということで、この項では「記憶力」を観点にして、キャラクターたちについて振り返ってみようと思います。


●すれ違った記憶も大切に


全国大会2日目の夜。

自分たちが2回戦で対戦する相手を研究するために、
愛宕監督から受け取った牌譜と映像をホテルの一室でチェックする千里山レギュラー陣
トーナメント表でうちに近いところ、と第6試合の映像を開いたら
怜が「あ、あの子」と覚えのある顔に気づき、続いて見た竜華も驚きます。

「ああああ!高速道路のサービスエリアで会った・・・!!」

「(ほほう)あの子たちも出場校やってんな」
そこに映っていたのは、これから対局室に向かう玄の姿でした。
まさかこんなところでまた見るとはと、竜華は「素敵な偶然」に目を輝かせ
「勝ったら敵になるっちゅうのに・・・」と周りに半ば呆れられつつも
阿知賀を応援し始めてしまいます。


一人舞い上がっている竜華が微笑ましいシーンですが、これ、なかなかすごいことですよ。
全国大会2日目のことなので、サービスエリアで会ったのは確かにほんの数日前ですが
ほんの数日前でも、何せ竜華・怜も、穏乃・憧・玄も互いには名乗らず、
どこの学校で何をしに行くのかも聞いていない(これから話が進む?)ところで別れたのですから。
穏乃たちの方は、別れた直後に二人が千里山であることを赤土さんから教わるわけですが
竜華たちからすれば、普通に考えれば、ここでそれっきりのすれ違い。
まず一生会うことがなかったであろう三人です。


なのに覚えている。素晴らしい。
繰り返しますが、名前や学校名や、そういう人を覚えるためのキーワード一切なしです。
これだけで彼女たちの優れた記憶力と人柄がうかがえます。


ホント、人と関わる立場において、相手の顔を覚えていると言うのは強力な武器です。
コラム1で10年前の灼との思い出を覚えていた赤土さんについて、「いい教師になれる」と書きましたし、
部員が80名もいる中、入部したばかりの1年生の上に
当時は78位という目立たないポジションだった文堂さんのことを
戦績込みできっちり覚えていた風越の福路キャプテンもさすがです。

「まさか覚えていないと思っていたのに、覚えていてくれた」
というのはそれだけで嬉しいもので
灼にしろ、文堂さんにしろ、とても心強く思ったことでしょう。

文堂さんについては、長野決勝では竹井部長に削られまくるという残念な成績を残してしまいましたが
2か月で部内ランキングをほぼ底辺からレギュラーの位置まで引き上げた努力は、
キャプテンの存在あってこそと言って過言ではありません。
人を育てるにあたり、「結果」だけじゃなく、こういう「過程」ってとても大事。

「あの人は私のことを知ってくれている」・・・団体を率いる上では、これは非常に重要な要素です。
大人数であればなおさらです。


関西最強の千里山で部長の立場にある竜華
自分たちの対戦相手の勝利を見て喜んでしまうお調子者なところもありますが、
絶対に「いい人」であることは疑うべくもなく。

人の顔をきちんと覚えていることも合わせて、
大勢いる部員に慕われる要素をしっかり備えていると言うことができるでしょう。
エースは怜で、分析は船Q、ムードメーカーはセーラで、泉はルーキー
こう役割で捉えると、エースであり、ムードメーカーであり、
分析もしないとは言わないけれど
いずれでもレギュラー内で第一人者であるとは言えないかもしれない竜華
 (※念のため、第一人者ではないというだけで、実力がないと言っているわけではありませんよ
   「ご存知千里山女子部長・清水谷竜華」とアナウンスされているように、麻雀の腕でも彼女は十分有名人です。
   できればー「枕神怜ちゃん」とのコンビもいいけど、竜華自身の力も見せつけてほしいと思っている今日この頃)


でも、どんな分野にでも言えることですが、
リーダーが必ずしもナンバーワンであるとは限りません。
何より大事なのは「この人と一緒に活動がしたい」と周りに思わせる人であることです。
その資質が竜華にはあります。


怜を竜華たちが大切に思い、怜もそれに応えたように
竜華もまた、部員に信頼されるに足る器量を持っているのだと言えますね。





●偏差値70は伊達じゃない。憧はやはり賢かった。


(ここまでの局、渋谷尭深の第一打は
 中白南發北白中中)

(大三元か・・・)


準決勝中堅戦における憧の一シーンです。

渋谷さんの打ち筋「ハーベストタイム」の法則を憧は赤土さんから教わっていました。
オーラスまでの全ての局で最初に切った牌がオーラスでは配牌として戻ってくる。
役満を狙って打てるのが強みで、それを防ぐためには切った牌が少ないほどいい。

対策は、できるだけ局を少なくする
「連荘しないこと」と「流局した時に親がテンパイしてないこと」
要するに毎回親番が流れちゃえばいいので、「対策自体は簡単でしょー」と憧自身も言っています。


しかし、ものの見事に「言うはやすし行うはかたし」でして、
その時の自分の手の状況、周りの思惑、そして渋谷さん本人の意図
いろんなものが絡み合って対局は進んでいくので、
いざやってみるとそう簡単には事が運びません。

(和ならコレ、計算してどっちがいいかわかんのかな・・・
 あー・・・もう私はわかんない・・・っ!!)

なんとかなると思っていた計算がにわかに狂いだし、
旧友の和の実力に憧が一目置いていることがわかる一方、
自分はどうしたらいいんだと悩みまくるわけですが。


まあ、計算が狂ったのはその場その状況によるので仕方ないでしょう。
それよりも、私が「やっぱり憧はすごいな」と思うのは
上に挙げた場面を見ての通り、渋谷さんの第一打を順番通りにきっちり覚えていることです。


これ、仮に野球でたとえてみますと、試しに打者が一巡するまでに
ピッチャーが投げたそれぞれの第一球の球種が何であったか、記憶してみてください。
普段野球を見慣れている人でも相当意識しないとできない、面倒な作業であることがわかると思います。
渋谷さんが切る牌は役満の中でも作りやすいであろう大三元、
つまり字牌(白・發・中の三元牌。次点でやはり役満「字一色」狙いの東・南・西・北の風牌)に
絞られる可能性が高いとは言っても。

しかも、野球で言うスコアブック、麻雀なら牌譜。それが手元にあるならまだしも
ここではメモしておくことさえもできません。
何より憧は今まさに対局中。バッターボックスに立っている真っ最中なのです。
自分がどうやって結果を出すかを考えるのだけでも大変なのに、
相手が最初に何を出したかをオーラスまでずっと記憶し続けていなければならない。


一方、同じ場にいたセーラは
船Qから渋谷さんの特徴について少なからず聞かされていたようですが
それに対策するよりも、自分がとにかく攻めて点を稼ぐことを選びました。

思い切りのよいセーラらしい、これも立派な戦法であり、
結果的には十分功を奏したと思いますが
セーラが放棄したのは、「対策」が言うほど簡単ではない、
むしろ非常に面倒くさいものだという証左にはなるでしょう。

それを可能と思い、前半はやってみせた憧もまた大したものです。

「役満よりも多く稼げば全く問題なし!」
いや、それだって簡単なわけは全くないですけどね
それを狙ってやっちゃうところはさすが千里山
の主力


この後半戦においては、結局渋谷さんのハーベストタイムを止められず、大三元をしてやられてしまう憧ですが
結果はともかく、この過程において、憧の記憶力が非常に優れていることはわかるのではないかと思います。



もう一つ憧の記憶力が半端ではないことを示すエピソード

2回戦が終わった日の夜
穏乃の提案でラーメンを食べに外へ繰り出したその先で
阿知賀の5人は長野県予選で決勝まで進んだ強豪
鶴賀学園の「ステルスモモ」こと、東横桃子に偶然出会います。

この時「たしか・・・とーよこさん・・・?」と
いち早く気づいたのはやはり憧でした。
この時、憧の傍らで「誰?」と首をかしげるポジションの穏乃ですが、
穏乃に限らず、おそらく玄も宥も灼も即答はできなかったでしょう。

いくらステルスというある意味分かりやすい特徴を
今この場で見たとは言っても
映像で見ただけで直接会ったこともない、しかも長野の人。
その相手と東京で出会って、すぐに
「東横さん?」と結びつく方がすごいのです。

他にも、阿知賀に関する話で、何かに「気づく」「思い出す」ということがあった時には
たいていそれは憧から始まっています。

伊達に「偏差値70(※元々受験するつもりだった晩成への合格ライン)」が余裕だとは言ってません。
これらのエピソードは憧の知力を十分に裏付けてくれるものだと思います。





●そんな憧の記憶力を、穏乃が唯一上回ったこの場面

「ハルエと、えーっと・・・誰だっけあの人(よく見えない)」

「熊倉さんだよ。福岡の監督してた」

「ああ・・・ってかシズ、相変わらず目よすぎでしょ」

暗くてよく見えない、ということで昼間であれば憧もすぐわかったのかもしれません。
しかし、それよりも何よりも、ここで特筆すべきは穏乃が覚えていたことです。
憧が「誰だっけ」と言っている傍らで、「熊倉さん」と即答し、「福岡の監督」であったことも話しています。

上の項で書いたように、穏乃はモモのことをすぐに思い出せませんでした。
宥姉がかつて同じバスに乗っていたことも覚えていませんでした。
最近だと浜名湖サービスエリアで
千里山勢に会った時の遠目で見たセーラの服装について
憧に「おぼえてる?」と聞かれて「全然!」と、いっそすがすがしく即答しています。


いずれもその時点では顔見知りでなかった以上、別にこれらは珍しくもないことなので、
これらのことを取り上げて、穏乃の頭が悪いとは思いません。
けれど、少なくとも、憧よりは記憶力が確かではない


そんな穏乃が、唯一、この場面では、赤土さんの隣にいるのが熊倉さんであることにいち早く気づいたのです。

熊倉さんと会ったのは4年近く前。
赤土さんをスカウトするために阿知賀を訪れた、おそらくそのただ一回であるというのに。



これはすなわち、穏乃にとって熊倉さんの存在がどれほどインパクトがあったものなのか
赤土さんの実業団入りが決まったあの日がどれだけ印象的で、そして衝撃的な一日であったかを物語っています。

憧が穏乃たちとは違う進路を目指すと聞き、
さらに部室に行けば、そこには赤土さんと熊倉さんの姿
当時小6の穏乃にとって、たたみかけるように急に降りかかってきた、別れの兆し。




コラム2でも少し触れた本編での番外編「高遠原」(9巻収録)で
中学進学以降、穏乃たちとは疎遠になってしまったことを憂い、

(みんな少しずつ別れていく、こんな気持ちになるのなら初めから・・・)と

寂しい思いを抱えながら、ネット麻雀に向かっている和の姿があります。




私が思うに・・・
この頃の穏乃も和と同じか、それに近い心境だったのではないかと。

今まで「先生」と呼んで慕ってきた赤土さんがいなくなった。
小学生の頃はあんなに親しかった憧とさえも放課後ですら遊ばなくなった。

(新しい環境に馴染むためにそれぞれが努力していたゆえとは言っても)
仲が良くても別れの時が来れば、それまでが嘘のように消えてしまう。


来年には和が転校する、でもまだ1年ある
さらに言えば、同じ学校には学年が違うけど玄もいる。
まだ遊ぶ時間はあるし、知り合いだっている・・・

・・・と前向きにはとらえられなかったのだと思います。


ネット麻雀に向かう和と、山へ遊びに行ってしまう穏乃
インドアとアウトドアという点での違いはあっても

「いずれ別れてしまうかもしれない誰かより
 そこに行けば必ずある自分の世界」に没頭していく


その様子は全く同質のものだったとは言えないでしょうか。

和から転校の話を聞かされた時の穏乃
「ごめんなさい」と謝る和に「いーよ」と返し、
「新しいダチができた」とは言っていますが・・・


親や知人との連絡アイテムである携帯も持たずに
山へ駆け出してしまうその後の穏乃




赤土さんからすれば、そして客観的に見れば
福岡から遠路はるばる奈良を訪れ、阿知賀のレジェンド復活への道筋を作ってくれた「恩人」である熊倉さん

しかし、穏乃からすれば、赤土さんを連れていってしまい、麻雀クラブを廃止に追い込む「原因」ともなった熊倉さん・・・


「他の様々な記憶はあいまいでも、熊倉さんのことは覚えていた」
これは穏乃という子を考える上で、非常に大事な一面であると私は思っています。
一見能天気に見え、実際多分に能天気な穏乃ですが、
その彼女をして、しばらくは埋めがたかった喪失感のきっかけになった人だからです。



久しぶりに阿知賀に帰ってきた赤土さんを
名前ではなく「先生!」と呼ぶ穏乃

もちろん苗字で呼ぶ場面も多々ありますが、
第一声がこれであることからわかるように、
クラブがなくなってしまっても、穏乃にとって赤土さんはいつまでも「先生」でした。
その赤土さんが、せっかく戻ってきてくれた先生が
またいなくなってしまうかもしれない衝撃
熊倉さんの姿を見かけ、追いかけて

「また、赤土さんを連れてっちゃうんですか・・・!?」と

聞かずにはいられなかった思い
赤土さんが熊倉さんの話を断ったと聞き、
涙があふれてきた気持ち
そして赤土さんが辿りつけなかった決勝へ
「自分たちの代で行くんだ」とメンバーを奮い立たせようとした熱意



阿知賀編全般を見た時、主人公でありながらここまで穏乃の出番は確かにそれほど多くはありません。
でもそれだけに、出番が多かろうが少なかろうが穏乃を応援している!という方にはなおさら
このあたりから読み取れる(と、私は思う)穏乃の心境を、ぜひ汲み取ってあげてほしいな、と思っています。



  そして、穏乃が熊倉さんのことを覚えていたのなら
  当然その逆、熊倉さんも穏乃に気づいたことにもやはり触れないわけにはいきませんね。
  上記の通り、熊倉さんが穏乃と会ったのは赤土さんをスカウトしたただ一度きり
  しかもそのスカウトを手放しで喜べず、一歩引いたところから見ていた穏乃です。
  この時の熊倉さんの視野に穏乃が映ったかどうかはわかりません。

  熊倉さんが当時から穏乃を覚えていたかどうかは不明ですが
   (知っていたとすれば、それこそ驚異的な記憶力)
  赤土さんが阿知賀を率いていることを熊倉さんは知っていたわけですから
  今も赤土さんに関心を示す一人として、また宮守の顧問としても
  赤土さんが「まだ見ておきたい子たちがいる」といったメンバーが
  果たしてどんな子たちなのか、チェックしておいたことでしょう。
  みんな制服の中で「一人ジャージ姿」の穏乃はある意味では目に留まりやすく、
  わかりやすかったかもしれません。

  しかし、熊倉さんが穏乃のことを知ったのがいずれの時期であったとしても
  いきなり駆け寄ってきた、本当に一面識もない子を前に
  「あぁ、あなた・・・」と気づいてあげられるのはさすがです。

  自分が率いる宮守の2回戦敗退が決まった時
  試合には負けたけど、みんなと一緒の思い出ができたと、感極まって涙ぐむ部員たちを尻目に
  (まいったね・・・まさかベスト8入りもできないとは・・・)と一人口惜しく感じており
  長年監督や顧問を務めてきただけあり、熊倉さんはただやさしいだけの人ではありません。
  それでも自分自身の不本意さは表に出さず
  宮守の部員や、既に自分の手からは離れた赤土さんを見守り
  なおかつ赤土さんが今関わっている穏乃に気づいて声をかける。
  繰り返しになりますが、穏乃が駆け寄ってきたのは自分のチームが敗退したまさにその日です。

  とても大人らしい立派な対応で、すぐれた記憶力と共に
  指導者にふさわしい、熊倉さんの面倒見の良さをうかがい知れる場面だと思います。


  熊倉さんが来なければ、阿知賀こども麻雀クラブはなくならなかった。
  でも、熊倉さんが来なければ赤土さんの再起はなく、
  今の阿知賀女子学院麻雀部の姿はやはりなかった。

  元は福岡・今は岩手にいる人生の先輩と、奈良しか知らなかった子どもの、
  不思議な縁のめぐり合わせ、と言ってもよいかもしれませんね。





4.麻雀部再結成のやりとりから考える松実姉妹の今昔


今回のコラムのラストは松実姉妹です。
麻雀部再結成のための「4人目」として、玄が穏乃・憧をともなって自宅にいる宥姉を誘った時のことです。

夏なのにコタツに潜っている宥姉の姿を見て穏乃は面食らうわけですが・・

「・・・この人どっかで・・・」
「玄のお姉ちゃん。
 しずと同じ阿知賀に通ってんだよ。2年上だけど」

「小4まで一緒のバスだったじゃん」
「え・・・そうだっけ・・・」

「小4まで」というのは、宥姉が小6。つまり宥姉が卒業するまでってことですね。
同じ学校なんだし、バスでも一緒だったんだから覚えといてあげなよーと憧は軽く苦笑いしていますが・・・

ここでふと思ったのは
このやりとりから穏乃と宥姉は、今通っている学校(阿知賀)は一緒、昔乗っていたバスも一緒だった。


でも「小学校も同じだった」とは言われていない


  このあたり、補足しておきますと、穏乃たちが通っていた小学校。
  校名は不明ですが、少なくとも「阿知賀小学校」ではありません。
  阿知賀女子学院を初めて訪れた時に
  和が校門を見て、「あちが・・・?」と呟いています。
  自分の通っている学校と同じ名前なら、こんな呟きにはならないでしょうから。

  ですから、憧の言う「しずと同じ阿知賀に通ってんだよ」は
  あくまで中学以降のことであり、小学生時代は含まれていないのです。

   ※なお、余談ですが、現実にも「阿知賀小学校」というのは存在しました。
    数年前に閉校してしまいましたけど・・・


でもバス(=家からの進行方向)が一緒なんだから、
小学校も一緒なんじゃないの?と思うところかもしれませんが

続けて穏乃はこんなことを言っています。

「あー・・・知ってる・・・っ
 夏なのにマフラーしてる上級生・・・」

「中一の時、クラスで話題になってた・・・」


これは中1で「ようやく」話題になったと言うべきでしょうか
中学校のみならず、小学校も同じであったなら、面識はなくてももっと前から存在は知っていたはずです。
低学年のうちは自分のクラスや学年しか見えてないにしても、
この辺は子どもが少ない=児童数も限られてくることもふまえれば、
「夏でもマフラーをしている先輩の小学生」に、穏乃のみならずクラスの子たちも
宥姉が卒業するまでの4年間に気づかないことはまずありえないでしょう。宥姉と面識がある憧もいるというのに。


以上のことから、小4まで「確かに同じバスには乗っていた」
けれど穏乃・憧と宥姉が通っていた小学校は「別」
これはほぼ間違いないと思います。



そしてもう一つ・・・同じバスに穏乃・憧・宥姉が乗っていたことはわかりますが
そうなるとあともう一人、この時玄は一緒に乗っていなかったのでしょうか?
普通に考えると宥姉と一つ違いの玄は、自然、姉よりもさらにもう一年、同じバスに乗っていたはずなのですが。

バスに同乗している宥姉に穏乃が気づかなかったことについて

「おねーちゃん、たまに外出る時も
 マスクにメガネにマフラーだから
 顔見てわかんないのも仕方がないかも」

とその時の様子を想像しながら話している印象です。
どうもバスには乗っていなさそう。

・・・ということは、別行動?
つまり宥姉と玄も同じ小学校には行っていない?


もっともこれだけで結論付けるのは早計でしょう。
宥姉のことを知らなかったように、穏乃が松実姉妹と面識を持ったのは玄がこども麻雀クラブに入って以降でしょうから、
バスに宥姉がいたことはもちろん、隣に玄がいたとしてもやはり覚えていないのは無理のないことですし、
また通学・通勤時間帯となると、バスもそれなりに混雑するでしょうから
声をかけたり、まして自己紹介したりするような場面がなくても仕方ない。
(穏乃が既に知っていると思っていたからか、憧も宥姉のことを当時特に紹介したりはしなかったようですし)

また、バスに乗っていなかったとしても、それは単に一緒に登校はしていなかったと言うだけで、
学校は同じということも、もちろん兄弟姉妹には特に珍しいことではありません。
(母親が亡くなっている松実家ですから、家事を娘たちが引き受けなければいけない場面は日常的にあったでしょう。
 他の仕事ならともかく、寒いのが苦手な宥姉に、特に水が冷たい朝の台所を任せるのは酷ですから、
 「ここは私に任せて、おねーちゃんは先に行ってて」というのもありえることです)


しかし、そういうケースが色々あることを差し引いても、この時のやりとりから
宥姉が、穏乃や憧どころか、場合によっては妹の玄とさえ違う学校であった可能性が否定できません。

また、後の6話の回想で
幼い頃の宥姉が男の子たちに絡まれている場面があるのですが
名前や顔はともかく、「冬でもないのにマフラーをしている珍しい子ども」が
おそらく近所であろう子どもたちにも認知されていなかったのでしょうか。
たくさんの人が住んでいる都会やマンションならいざ知らず、
松実家は田舎の民家(旅館)です。


繰り返しになりますが、これだけで結論付けるのは早計だとは思います。
しかし、外出が少ないとはいえ、あんな目立つ姿だからこそ、小学生の頃にほとんど知られていないのはかえっておかしい。
そして妹の玄はおそらく同じバスに乗っていない。
これらのことから、宥姉は小学生時代、一人別の学校に通っていたのでは?と思えるのです。



なぜ別の学校だったか・・・というと、学力がどうこうよりもやはり体質の問題だと思います。
どうしてあんなに寒がりなのかという根本的なところは、私にはまったくもって見当がつきませんが、
成長して基礎体力がついてきた今でさえ、夏でもこたつに潜り、9月で既にストーブを欲しがるほどなのですから
今よりも体が弱かったであろう幼少期に、一般の学校のカリキュラムに耐えられたとは思えません。

子どもの頃は、体質改善と体力向上のために特別に訓練を受け、
そこそこに一般生活をやっていけるようになってから、阿知賀に入学した。
そこで「ようやく」常時マフラーの姿が周りの子たちにも気づかれるようになった・・・という生活を送っていたのではないでしょうか。
体質を基準に考えると、みんなと違う学校に通っていたという方がむしろ自然なのではとさえ、私には思えてきます。


「あったかい色の赤い牌を集める」という宥姉の打ち筋は、この極度の寒がりに由来するものでしょう。
こと麻雀に関しては、「切ってもかまわない」と言う点で妹の玄よりも柔軟な特徴を持つ宥姉ですが、
日常生活においては、この体質は非常に大きなブレーキになってしまいます。
なにせ行動範囲が極端に制限されてしまいます。人格形成に与えた影響も大きかったはずです。



本当は麻雀クラブに行きたかったけれど、行けなかった。
赤土先生の周りに集まる子どもたちを遠くから見ている
宥姉の描写が同じ2話にあります。

気づいた時にはもう中学生だったから、とは言っていますが
妹の玄がクラブの一員として名を連ねていたのですから
そのツテで加わろうと思えば加われないこともなかったはずです。

でも言い出せなかった。
他人と行動を合わせづらいその体質と生活環境ゆえに
温厚でありながら、周りから一歩線を引いて下がってしまう傾向が
宥姉にあったのは確かです。

みんなと仲良くなりたいという思いはあっても、
その一歩が踏み出せませんでした

そういうふうな境遇から考えてみると
3話で全国出場を決めた直後、宥姉が
「テレビに出たからってクラスメイトにもみくちゃにされてた」という場面

「助けなくて大丈夫なの?」という憧に対して
「おしくらまんじゅうみたいであったかいから嬉しいんじゃないかな」と
ぽやーんとした顔で玄が返しています、
案の定戻ってきた時の宥姉はフラフラ状態でしたが・・・


体質から来る、狭い行動範囲を思えば
このようにみんなに囲まれてチヤホヤされる姉の姿を
おそらく玄は今まで見たことがなかったでしょう。

生涯初めてのもみくちゃ体験に宥姉自身はビックリドッキリでしたが、
能天気とかそういうぽんやりした性格を差し引いても、
子どもの頃から姉を見ていた妹として、
本当に玄は嬉しく思っていたんじゃないかな、という気がしますね。

幼い頃、宥姉が男の子たちに絡まれ、
「おねーちゃんに手を出さないように!」と立ち塞がった時と
比較すると、意地悪をされているからではないとはいえ、
完全に安心しきっている様子のこの時の玄
まあ傍目にはただのギャグですけども。








ところで、先ほども触れた麻雀部再結成の時の宥姉のこの発言

「ほら・・・玄ちゃんが通っていたあそこ・・・
 こども麻雀クラブ・・・」

「私もホントはあそこに行きたかったの・・・」

「でも・・・気づいた時には、私・・・中学生だったし
 なんとなく行きづらくて・・・」

部に誘ってもらえて嬉しいと喜ぶ宥姉が、
「ずっと玄ちゃんが羨ましかったんだぁ」と微笑むこの場面ですが
実際に中学生で参加していた妹の立場は?



・・・いやいや、違いますよ?別に宥姉に当時の玄のことをとやかく言う意図は微塵もないですよ?
(いいなぁ、と思っていたわけだし)

確かに阿知賀編第1話の時点で玄は中学生であり
ここだけ見ると、小学生の中にただ一人交じっている中学生
宥姉が加わるのをちょっとためらってしまうのも無理のない様子には見えるかもしれません。
(ていうか、私自身がそんなことを思ってた時がありました。ごめんなさい)


でも阿知賀編スタートは穏乃たちが6年生の4月
1学年違いの玄はつい先日まで穏乃たちと同様に小学生だったのです。
(上述の通り、学校が同じだったかどうかは不明ですが)

今まで慣れ親しんできたクラブ、しかも場所は今年自分が入学した学校の一室となれば
玄が行かなくなるわけもないですね。


それに、確かに冒頭の時点では中学生は玄しかいませんでしたが、
憧に小学校卒業後の進路を聞かれた際

「私も阿知賀かなーここの部室好きだし」

と穏乃も中学以降も参加する気満々でした。
おそらくは和もそれに続いたはず。
そうできるのは前例として既に玄がいたからこそでもあるでしょう。

あいにくここからほどなくして赤土さんが実業団入りを果たし、クラブが解散してしまったため
中学生メンバーは玄が最初で、結局唯一になってしまいましたが、
長く続いていれば、玄以外にも参加している中学生は現れたはず。
中学生が増えてさえいれば、「私も・・・」と宥姉が当時からひょっこり顔を出すチャンスもあるいは生まれていたかもしれません。
あくまでも仮定の話ですけどね。




・・・ですが、



そういう「今までも参加してきた流れで」ということを考慮したとしても
中学に入学したばかりの玄が、新しいクラスで生まれるだろう新しい関係よりも
これまで一緒にいた子どもたちとの交流の方を優先し続けてしまっていたことは否定しようもないと思います。

「ドラを大事にしなさい」という生前のお母さんの言葉を胸に、今のドラが集まる能力を得たことといい、
あるいは、解散して使われなくなった部室を、週に一回、木曜だけとはいえ、2年以上も守り続けてきたことといい、

とかく玄は思い出を大事にしすぎる子なのです。
宥姉が体質のことで、活動場所が制限されてしまう一方、
妹の玄は、こちらはこちらで主に気持ちの問題で、やはり同じもの、同じところに留まり続けてしまう傾向があります。

もちろん思い出を大事にすることが悪いわけではありません。大事にしたいほどの思いなのですから。
しかし、「守りたい」「大切にしたい」というこだわりは、
ドラが集まると言うよりむしろドラに縛られてしまっている、みんないない場所に一人取り残されてしまっている
玄の不器用な生き方に、あるいは打ち筋に直結してしまっているように感じます。


  もっとも、美点と欠点は紙一重。
  留まり続ける、というのは非常に忍耐のいることなので、
  玄は精神的に脆そうでも、我慢強い、そう簡単にはあきらめない子です。

  準決勝先鋒戦オーラスで照に一矢報いることができたのも、
  これまでのコラム等でも触れてきた、様々な要因があった上でのことだとしても、
  大前提は、ここに至るまでボロボロでも最後まで和了りへの道を、玄が諦めなかったことにあります。
  「主人公校なんだから、諦めるわけがない」といったメタ的な理由に頼る必要もなく、
  どれだけ涙目になっても、もうどうなってもいいと自暴自棄にはならない、玄の人となりがもたらした結果です。

  美点と欠点は紙一重、といえば、こんな場面も
  番外編で久しぶりに会った子どもたちと共に他の友だちの元を訪問した時、
  穏乃や憧には会えなくても、子どもたちと和が来てくれた、それだけで喜んでいました。
  普通なら落胆してしまうような様子にさえ、よかったところを見つけ、朗らかに笑う。
  コラム2の後半でも取り上げた、私の大好きなエピソードの一つですし、
  これはこれで一つの立派な美点なのです。間違いなく。

  でも、「このままじゃ嫌だから何とかしたい」・・・一種の向上心とでも言えばいいでしょうか。
  「もっと人を呼びたい」とか「みんなにまた集まってと声をかけよう」とか
  わずかなことにでも喜ぶ性格であるがゆえに、かえって寂しさをバネにすることもない。
  今の状況をよりよくするための「外向き」の行動には結びつかず、
  ここからまたさらに一年以上、現状維持で今残っている麻雀部室をきれいに整えていく。
  それが当時の彼女の精一杯で、そこから先へ踏み出そうとはしなかったのも確かです。
「私はいつも待つほうだった」


姉とはまた違う意味で、一歩前へ進めない子
それが玄という子だったかと思います。





このような松実姉妹のキャラクターを振り返ってみると
二人に共通する成長の鍵は「前に向かうための一歩」であったかなと思います。


玄については、もう今までのコラムで何度か触れてきたことですが、
準決勝先鋒戦でドラ切りリーチをするこの局面ですね。

前回のコラムで個人戦に出なかった理由について触れてみましたが
「個人戦はみんなでって感じがしない」という言葉は
彼女の思いをよく表していると思います。

全国大会2回戦で惨敗した直後、
長年妹を見てきた宥姉に「らしくないよ」と言われるほど悲しくて泣いたのも
「みんなの大事な点棒」を取られてしまったからであり、
だからこそ、おそらく今まで以上に「強くならなきゃ」と短い間にも特訓に励んだ。
けれど、それでもやっぱり全然歯が立たなくて
「みんなの役に立ってない」と悲嘆にくれてしまう。

仮に個人戦に出て、同じように点をガリガリ削られるような場面があったとしても
きっとこのように重く受け止めたりはしなかったでしょう。
自分一人のことなら、我慢するのには慣れている子でしたから。

玄が一歩踏み出せたのは、やはりこれが個人戦ではなく団体戦だったから。
「みんな」がいたからこそ引き受けることになった試練であり
前に向かうための決意を固めることができたのも、やはり「みんな」がいたからです。



宥姉の「一歩」は二回戦・準決勝での活躍もさることながら
その奮起の発端となったのはやはりここでしょうね。

2回戦先鋒戦で惨敗した玄を「迎えに行こう」と憧や穏乃が言ったところ
震え、うつむき加減ながらも「私が行く」と主張します。


この時、「大丈夫ですか?」と穏乃が尋ねました。
去年の夏以来、もう1年ほどの付き合いになるわけですが、
その穏乃から見て、宥姉がこのように自分から「まかせて」と
言いだすような人では、これまでなかったということです。

あったかいし、母が好きだった花がいっぱいあるという理由で
全国大会直前まで温室当番を引き受けていたこともある宥姉ですが、
このような心苦しい役回りを自ら買って出るのは
宥姉のこれまでを踏まえると、おそらく初めてのことだったでしょう。


「私、おねーちゃんだから」

辛い結果に直面した妹のためならば、と自ら踏み出した
宥姉の大きな一歩だと思います。



全国大会へ、さらにその頂へ向かう道を通して、二人は互いの一歩を踏み出しました。
それぞれに大きな意味があったと思いますが、一歩は一歩、さらに歩みを進めてこそ価値があるものでしょう。
玄はただいまドラ復活の特訓中。宥姉は妹より先んじて二回戦でも、準決勝でも強豪校に引けを取らない奮闘を見せました。
一歩また一歩、進んだ先に果たしてどんな道が開けているのか・・・さて、どうなるのでしょうね。







以上、今回はここまで主に阿知賀女子学院麻雀部について書いてきました。
最後に「彼女たちに共通すること」を考えてみるとすると、すぐにこれ、とはっきり絞れるわけではないでしょうけど
あえて挙げるなら、やはり「距離感」と「その克服」だったかと私は思います。


穏乃・憧・玄と赤土先生、さらには和といった旧こども麻雀クラブのメンバーの隔たりは今さら言うに及ばず。
灼と赤土先生は、10年越しでやっと接点を取り戻した間柄。

玄と灼にしても、「灼ちゃん」「クロ」と麻雀部結成前から互いに名前で呼び合うあたり
必ずしも疎遠な関係だったとは言いませんが
赤土さん引退以来、灼が麻雀から離れていたことを玄が知らなかった以上
幼いころのような一緒に遊ぶ仲でなかったことは確かです。

さらには松実姉妹についてもそうです。あれほど仲が良い姉妹なのに
宥姉は妹が参加しているにも関わらず、こども麻雀クラブに自分も入りたいとは言い出せず、
玄もまた姉を誘おうとはしませんでした。
寒がり体質からくる互いの遠慮なり配慮なりもあったでしょうが、微妙な間があったことはやはり否めません。
玄が姉をようやく誘ったのは、部設立のためにという「必然性」があってからのことでした。


「穏乃ちゃんや赤土先生
 憧ちゃんや灼ちゃんは戻ってきてくれた」

「おねーちゃんとは前よりもっと一緒に遊ぶようになった」



現在進行形の試練込みだとしても
麻雀部の存在が今まで離れていたみんなを繋ぎ、
そして姉妹の絆をいっそう深めてくれたのは間違いなく。

それぞれとの距離を埋めるために、
麻雀部は生まれたと言っても過言ではありません。



10年の時を経て復活した阿知賀女子学院麻雀部。
直接の土台を用意したのは玄です。
誰も使わなくなった麻雀部室を整え、自分の関係から宥姉・灼を麻雀部員に招き入れました。
麻雀部員を育て、全国でも戦えるように仕立てたのは赤土さんであり、その基礎はこども麻雀クラブにあるのですから
赤土さんのリハビリのためにと、クラブを設立した新子姉妹の存在もやはり大きいです。
もちろん憧の「復帰」は、麻雀部復活のための、心強い弾みにもなりました。

宥姉は2回戦以降苦戦続きの玄の後をしっかりと支えてくれましたし、
灼は赤土さんの後を継ぐ者として、数字的な派手さはないにしても、堅実に戦い抜きました。



しかし、この、みんなを繋ぐきっかけを作った、その大元はやはり穏乃です。
和の活躍を垣間見た穏乃が、和のいる場所を目指して走り始めたことです。
「全国大会に行きたい!」そう願い、そのために5人必要であったことが、互いの隔たりを乗り越える機会になりました。
2回戦終了後から準決勝前日にかけて、「赤土さんが再びいなくなってしまう?」とメンバーが心理的に危機に陥った時にも、
それを払拭し、それぞれの気持ちに再び火をつけたのも穏乃です。

もちろん穏乃だけではどうにもなりませんでしたが、穏乃がいなければ話は始まりませんでした。
憧は穏乃からの電話がなければ、おそらく予定通り晩成に行っていたでしょうし、
穏乃が連れ出してくれなければ、玄は場と人と、土台を整える要素を持ってはいても、
自分からは先に進めずに一人留まったままでした。

穏乃が引っ張ってくれたからこそ、憧は戻り、玄は前に向かうことができた。そして宥姉、灼、赤土さんへと。
阿知賀編の物語の発端はやはり穏乃(と、間接的に和)にあるのです。



だからこそ、たとえここまでの出番が多かろうと少なかろうと、あるいは麻雀の実力の優劣がどうであろうと、

阿知賀の主人公は穏乃で間違いない


と改めて私はそう思います。



今これを書いてる段階で2月の頭、もうじき次のガンガンが発売され
決着するところまで行くかはともかく、大将戦が大きく動くことにはおそらくなるでしょう。

阿知賀が勝ち抜けるのかどうか?それは見てみないとわかりません。
勝ってくれればそれは嬉しいですが、負ける可能性も決して低くないと思っています。
そして結果がいずれになるせよ、「阿知賀編」としてはやはりこれが最後の戦いとなるでしょう。
ならば勝っても負けても、精一杯、悔いのないように戦い抜いてほしいです。


ファイトだ、穏乃!




以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。



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