コラム:咲 阿知賀編寄り道〜一ヶ月遅れの探訪レポート〜


※使用している画像について
風景写真などの類は、自分で撮ってきたものです。
漫画画像については既に単行本化されている範囲では本編・阿知賀編共に単行本から撮ってきました。
2013年5月の段階で未収録のもの、あるいは見開きのページなど私の環境では撮りにくいものについては
ヤングガンガンまたはガンガンの雑誌から引用しています。

いずれにしても、無人の風景写真でない限り、肖像権や著作権はそれぞれの個人・団体に帰属するものです。



ここを開かれた方にはもう言うまでもないことと思いますが
去る3月発売のガンガン4月号にて阿知賀編が完結。Aブロック準決勝が終了しました。


最終回を読むにあたり、直前までに前回のコラム7でそれまで思っていたことを整理するだけ整理して
さあ、どんな結果でもどんとこい!と覚悟を決めて臨みまして

見届けて、それはもう、ほっとしましたが、
燃え尽きたと言うか、ああ、私の大好きな漫画が終わってしまった、と
しばらくぽーっとした状態になっておりました。



はてさて、それからほどなくして私の耳に
4月13日の土曜日に吉野山で阿知賀編のイベントが行われるという情報が飛び込んできました。


私は今までこういうイベントに参加したことがありません。
直接面識のある人はいるはずもないですし、人付き合いが上手いとは正直。
しかし、阿知賀編が最終回を迎えた今、将来咲本編に合流するとは言っても
阿知賀女子学院に関わるイベントはひょっとしたらもうないかもしれない。
だとすれば、これは・・・うん、行くしかない!
会ってみたい人もいる。ためらって過ぎてから後悔するより、ここは一つ出張ってみよう。
というわけで、締め切り数日前になった段階でポストに投函、応募しました。



約一週間後、無事通ったらしく、当日のイベント要項が届きました。
・・・と、一緒に絵馬も入っていました。
ネットで公開されていた概要から、憧の住む神社のモデルになっているという「吉水神社」に
絵馬を奉納することは知っていましたが・・・なるほど、事前に描いて持ってきて、というわけですね。

てっきり当日その場でもらうものと思っていたので、
一筆書いて、時間があればイラストを添えて・・・というくらいに思っていたわけですが、


・・・


・・・私も今までに神社にアニメや漫画のキャラを描いた絵馬が奉納されているのを見たことはあります。
それほど大きいわけでもない絵馬に、よくこんなに描けるなぁと
感心しつつも、まあ自分ではやることはないだろうと思っていました。けど、

この時、目の前にある絵馬を手にしてピーンと思った。いや、これ、描かずにはいられないよ!



届いたその日が4月9日、当日は4月13日。前日は早めに休んでおきたいことを考えると、猶予は3日。
全て平日なので手掛けられるのは、仕事が終わってからの限られた時間。
関東などから遠路はるばる来られる方に比べれば、交通面でよっぽどゆとりのある私ですが
それでも何を描く?どうする?と悩んでいるヒマはあまりなく。
足りない技量は愛情でカバーするつもりで、「それ、いつも発揮しろよ」と自分でつっこみたくなるほどの集中力、フル稼働。


 1日目 手元の適当なノートに下書きをザーッと描く。
      どうせなら赤土先生も含め、阿知賀6人全員描きたい!
      それも互いに手を取り合うなどして、みんながつながってる絵にしたいなぁ。
      というようなことを考えながら、大きさは度外視で、とにかく全体の構図をつかむことにする。


 2日目 描いたそのままの大きさでは、絵馬にはとても収まりきらないので
      仕事帰りに、昨日のノートの絵をいくつかの倍率で縮小コピーして持ち帰る。
      絵馬の大きさと見比べながら見当をつけ、書き込む。
      木だし、もともと絵を描く仕様じゃないからしょうがないですが、微妙に凹凸があって描きにくい・・・
      自分でやってみてわかる、実際に描いてきた人の上手さってやつですね。


 3日目 何とか鉛筆書きまでできた絵馬にペン入れ
      ・・・の前に、ふと「ペン入れに適したペンってあるのかな?」
      外に飾る=風雨にさらされる日もある ことを考えると水性はまずそうなのはわかるけど、なら油性?
      その辺、ネットで調べれば、きっとある程度のノウハウはわかるはずだと思って検索
      すると、最初それでやろうと思っていた、油性のマッキーではにじみやすいらしきことがわかる。おおっと!?

      読み進めてみると、昔からカラーイラストなどでよく使われるコピックなどのペン類が適しているようなので
      急きょ、閉店間際のアニメイトへ駆け込み。
      書き味を試してみて、個人的には一番しっくりきたピグマのグラフィックペンと
      せっかくだからと欲も出て、コピックのカラーペンも手に取る。
      もっともたくさん買ってももてあますので、3色カラーのイメージで紺系と茶系だけを選ぶ。
      そんなこんなで、結局この日だけでは仕上がらず、4日目、イベント前夜に持ち越し


・・・ということで、できましたー!

(当日これに日付とハンドルネームを
 描き加えて奉納しました)

粗がないとは言いませんが・・・まー私にしてはよくがんばったんじゃないかと?
翌日には自分の手を離れるので、記念にパチリ
思えば、私は同人もやったことないので、ネット上での画像データのやりとりは何度となく経験もありますが
こうして自分が描いた、それも原本を人様に渡すのは初めてですねぇ・・・
渡し先が世界遺産にも指定されている由緒ある神社なのはどーなのかというのは、個々の反応におまかせするとして、
一握りでもいいので、これ見てくださった方が、ほんのちょっとでも幸せな感じを受け取ってもらえたらいいなぁ。



・・・といったところまでが、当日に至るまでの出来事でした!前振り長いよ!






4月13日。明け方

いただいた案内に当日の電車運行ダイヤが記載されていましたので、それを元に移動スケジュールを組み立て。
ギリギリにならないよう、数本早く電車に乗って余裕をもって移動しよう・・・と思ってたら、まさかの地震発生!

そう、この日午前5時33分頃、淡路島近辺を震源とする地震があったのです。
淡路島は震度6弱、大阪や奈良でも震度3〜4を計測しました。
幸いにして死者が出るなどの大事には至らなかったよう(それでも淡路島を中心に決して少なからぬ被害)ですが
交通網は大幅に乱れ、私が移動に使った地下鉄も、乗ったはいいものの「遅い・・・」という状態に。

それでもまだ動いているだけ、この時間帯止まっていたと言うJR環状線に比べればずっとマシだったわけですが、
ともかく、地下鉄降りたら即ダッシュ!あわてて阿部野橋駅発の近鉄電車に飛び乗るということになってしまいました。


・・・まあ、その時は焦りまくりでしたが、後になって思えば、その程度で済んだだけ、私はよっぽど恵まれていたと思いますよ。



はてさて、そんなトラブルもありましたが、私は何とか集合時刻(午前9時)までに近鉄吉野駅前に到着。
やはり地震の影響もあって、予定通りにたどり着けない方もいらっしゃった様子。
特に、今回のイベント企画において中心的な役割を担っておられたと言う、「やましろ☆探訪記」のひでさんは
地震による対応のため、急きょ出勤することになってしまったのだとか。
仕事が一区切りしたら駆けつけてくださると言うことですが、それはホントとんだことと言うしか。


しかしイベントが中止にならなかっただけ、よしとすべきでしょうか。
個人的に、今回の私が吉野を訪れるにあたっての最優先事項、
かねてよりぜひともご挨拶したい方が関東から来られているはず!

はい、マンガソムリエの兎来栄寿さんです。
これまでにもコラムの冒頭で触れたことがある、「私以上の玄ちゃん好き」の方です。
マンガソムリエと言うだけあって、たくさんの漫画を読み、ブログで紹介されている方ですが
(その紹介文を見て、私が買った本もいくつか)
咲、そして玄ちゃんには特に愛着を持っておられまして。咲関連専用のカテゴリも作られています。

そもそも今回のイベントのことを知ったのも、ブログに書かれていた記事がきっかけですし、
これまでたくさんエネルギーとヒントをもらったお礼は、ぜひ言わないわけにはいきません。


とは言うものの・・・ですよ。
最初に書きましたが、私はこれまでファンのどなたとも一面識も持ったことがないわけでして。
今回のイベント定員36名、遅れてこられる方を差し引いても、その場に30名前後
誰が誰だかわからない状態からスタートなわけです。もちろん逆に、私のことを知っている方もいません。

さあ、どうしよう?
まさか「兎来栄寿さんですか?」とあてもなく尋ねるわけにもいかないですし。
しかし「いらっしゃったはずだけど結局わからなかった」は絶対に避けなければならない。
きっと、皆さんの会話を聞いていれば、何かヒントがあるはずだ。
そう思って、集まりの中にまじって聞き耳を立てる私。


ついでにこの時のためにと
「えんせいのしおり」を作ってこられた方がいて、
 (後で振り返ってみると、スタジオキムチさんという方でした
  この方も4月のイベントレポートを書かれていますよ→
ここ


思わず顔がにやける私。咲日和の玄ちゃんですね。
「遠征のおやくそく その1 
 おうちに着くまでが遠征です」もしっかり記載。

こだわりを感じるなぁ・・・


ほどなくして、

「この時期の吉野は予約でいっぱいで、まだ宿が決まっていなくて・・・」
・・・お?

「万一の時は、穏乃になったつもりで、吉野山に野宿するのもありかなとも思ったりして」
どっかで聞いた話ー!


ビンゴー!
思い切って尋ねてみたら、一発和了でした!
わかってみれば私が吉野駅を出て「咲のイベントに来られた方ですか?」と最初に挨拶をしたのがその方でした。
こちらも自己紹介して、改めて挨拶を無事済ます。
ということで、最優先ミッション、早々にクリアー!


・・・できすぎてて怖いっ(だいぶ運を使ってしまった気がする)


※ちなみに兎来栄寿さんはその後、来られていた地元の方の計らいで無事宿泊先が決まりました。







そんなこんなで個人的最優先ミッションは何とかクリアしましたが
やはり地震の影響で、ひでさんを始め、予定時刻に全員集合することはかなわず。
予定を変更して、午前中に行くはずだった吉水神社での絵馬奉納は昼食後に。
まずは、その時集まっているメンバーで先に散策をスタートさせることとなりました。


さて、移動開始。
・・・の前に。このレポートを見る上での一つの注意事項をば。


〜イベントのあった4月13日、その日の吉野は桜のピークを過ぎていましたが、それでも観光客で大賑わいでした。
 参加された方はもちろんのこと、遠方の風景でもない限り、どこをどう撮っても、人が映りこむ。そんな状態。
 かといって、一般の人が映っている写真をネット上に無断で掲載するのはちょっとまずい。
 顔がわからないように加工すればいいのですが、なにぶん人が多いので、ちょっと大変

 ということで、この後、記事と共に写真もいくつか掲載していますが
 ほとんどのものが、イベント当日ではなくて、後日撮ったものです。その点、前もってお知り置きください〜




吉野駅を離れ、ロープウェイ乗り場へ
2話で赤土さんも利用している片道350円のこのロープウェイは
現存する中で日本最古のものなんだそうです。

1929年開業。聞くところによると、戦時中には金属供出の要請によって、
このロープウェイもあるいは解体して・・・という話もあったそうです。
でも、これは今も昔も吉野山に住む人にとって重要な「足」
何とか守り、現在に至るのだとか。

2012年には日本機械学会により機械遺産の指定を受けたそうです。

2話。吉野駅から見て右側のロープウェイで
上ってきた赤土さん

ロープウェイに皆さんと乗り込む。イベントには女性の方も来られており、
そのうちのお1人が
「哩ちゃん(もちろん新道寺の白水部長のこと)の髪形なんですよ」と
後ろを二つリボンで留めておられました。おお、確かに!
お名前は聞きそびれてしまいましたが、
そのリボンがよく似合う方でしたよー

紹介するまでもなく周知のことと思いますが
こういうリボンです



ロープウェイを降りると右に橋  
 橋といっても和と憧の間にちょっと見えるだけ⇒ 
橋かどうかもわからないような描写で 
見破っちゃうファンの人がすごいと思います 
左に進むと黒門
ここに限ったことじゃないですが⇒
細道&坂道の吉野山は運転が大変そう。 
立地的に車は必需品だと思いますが、 
かなりの運転技術を要することでしょうね。 
望姉ちゃんも相当上手いでしょうし、 
赤土さんが全国遠征に自分の運転で 
連れて行けるのも納得です。 

道中で、なぜか屋台の隣のテーブルに阿知賀編1巻が置かれており
思わぬ遭遇に、一行、沸き立ちます。
聞けばここの屋台の方が置いてくださったそうで。

この日、行われたイベントは吉野町観光協会の協力によるものでしたから、
今日ファンが訪れる、それを見越して置かれたのかな?と思います。
あるいは見事に「かかった」のかもしれませんが
不意に自分の好きなものを見つけるのって嬉しいものですから
こういうちょっとした心づかいって、やっぱりいいですよね。


さらに坂道を上り、
銅の鳥居(かねのとりい)前の通りへ。
この鳥居は「聖地への入口」を示し
吉野〜熊野に至る
修験道の始まりともいうべき
場所なんだそうです。

そして阿知賀編にとっても
『始まりの場所』でもあります。
転校してきた和に、穏乃が
「友達になろう」と言ったのはこの近辺。
最終回エピローグでも
この鳥居前を駆けていく小学生時代の
3人が描かれました。
 

このエピローグ場面・・・撮影にトライされた方が口を揃えておっしゃるのは
「ローアングルすぎて厳しい」とのこと

カメラを地面スレスレくらいからにしないと
この角度の撮影はできないそうです。
でも、そこまで下にカメラを設置するって、怪しすぎて何ともかんとも

ましてやこのエピローグでは鳥居周辺に桜が咲いています。
一年のうちで吉野に人が最も多い時期・・・うん、これ無理。

フツーは無理。でも、だからこそ、ならばいつ、どうやって撮ったのか?
作画を起こすにあたって、綿密に取材をされたんだろうなーと実感します。


そして、この鳥居周辺でおさえておかなければならないのは、
やはりここ!「旅館さこや」
鳥居のすぐ傍にあるここは、松実姉妹の家が経営している旅館「松実館」
そのモデルになっているのがここです。

漫画では裏口が出て来るだけだったのですが、
アニメの方で明確に描写されました。

関係ないとは思いますが、露天風呂が「静の湯」なのが面白いです。
『シズの湯』?

上記のエピローグ場面、当時もう中学生だった玄ちゃんは
小学生たちと一緒に通学しているはずもないので
当然、この場面にも姿がないわけですが、
これらの立地関係が頭に入っていると、
『穏乃たち3人は、玄ちゃんたちの家の方に向かっている』という
構図にも読みとれるわけですね。(直接にはもちろんバス目的ですが)

朝の旅館仕事中の玄ちゃんがバスに乗り込む3人を見つけて
「行ってらっしゃーい」って見送ってたとしたら・・・それはさぞ微笑ましい光景だろうなぁ
などと、勝手に想像してみました(※人はこれを妄想と言う)


あと完全に余談ながら、私の親戚が経営しているお店がさこやさんのすぐ傍にあって、一人勝手に驚く。
昔、何度か買いに来たと言うのに・・・知らんかった・・・めっちゃ近所やん・・・



散策は続きます。蔵王堂のある金峯山寺の横を通り
山頂に向かう進行方向からすると左
方角的にはだいたい東に山の連なりが見えます。

この山々のあたりに「阿知賀女子学院」があるんじゃないかという話でした。
(アニメの設定資料上だと、正反対の蔵王堂から見て西側らしいのですが
 状況的に検証すると東側に該当するんじゃないかと言う話)
実際のところ西なのか、東なのかはわかりませんが
もし東側なのだとすれば


「よぉし、待ってろよ和ぁ・・・」

「そっち長野と反対の方向だよ?」

「!?いや・・・っ気分ですよ気分!」


「うーわー」


2話冒頭のこの場面が、確かに私の頭の中でしっくりきます。


というのはですね、東側に学院があるのだとしたら
そのさらに遠く東にある長野方面は目の前の山に遮られて見えないんですよ。
もちろん窓の位置によっては見えるところもあるでしょうけど、
学院から見て、圧倒的に遠くまで見渡せるのは
長野のある東ではなく、反対の西(蔵王堂がある方向)でしょう。

遥か彼方を見据えようとしたら実は逆でしたー!
ってこの立地状況だからこそ発生しやすいんじゃないかなーと

最終話にて本編主人公の咲みたいに
「方向オンチ」だと憧に言われていた穏乃
うむ、確かに方向オンチだ


その後もしばらく坂道を登り・・・
残念ながら桜の花はほとんど残っていませんでした。
「先週ならきれいに咲いていたんですが」とは案内してくださった地元の方の談
もーっと奥に行けばあるのかもしれませんけど、見ごろの時期に照準を合わせるのって難しいものです。


桜と言えば、で道中に見つけた面白い立札
吉野の桜をきれいに咲かせましょうということで

その名も「さくら咲競プロジェクト」

咲が競う、咲で競う!


なんて絶妙なネーミングっ
 







あちこち回っている間にお昼時とあいなりまして、

前回の10月の時にも会食をしたという
「静亭」に集合、昼食をいただくことになりました。

イベント当日には表に「歓迎〜咲〜御一行様」と
掲げてありましたよ。
   
 左は後日、右は当日の入り口に出されていた「歓迎」の紙⇒


10月のイベントにも参加された兎来栄寿さんのブログ、そして散策中のお話だと
前回は阿知賀キャラクターを模した料理を用意してくださったということで
今回も何かサプライズがあるかも?と、事前の期待もありました。

でも今朝の地震の影響か、そもそもが多忙で余裕のないこの時期のためか・・・
おいしかったのですが、目立って特にこれは!と、漫画に合わせた料理は今回はなかったようで。
前もって話をしていたために落胆したのでは?と気遣ってくださったのか、
一通り食べ終わったあとに、兎来栄寿さんが声をかけてくださいました。


確かに直接キャラクターをにおわせるような献立はありませんでした、が!最後に出てきたデザートについて

「でもくずもちの黒みつかけですよ。『おもち』です。『くろ』です」
「その通りです」
「重要ですね!」
「重要です!」

二人でグーする兎来栄寿さんと私。


いや、確かに吉野山的にはごく定番のデザートですよ?くろみつくずもちって。
でも何はなくとも阿知賀を、玄ちゃんを感じることができるか!そこが重要なのです!(力説)
定番なら定番で、それはそれで吉野山は玄ちゃんフレーズにあふれてるってことじゃないですか(大げさ)
「すみなすものは心なりけり」ってやつです(多分)
 ※補足しておきますと、「すみなす〜」は、幕末の長州藩士・高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」の下の句として
  臨終前に見舞いに来た、野村望東尼が記したもの。「(おもしろく生きられるかどうかは)その人の心次第」という意味になります



とにもかくにも、歩き疲れたおなかは満たせましたし、近くに座られた方といろいろ話もできましたので、オッケーなのです。



はてさて、食事も終えていよいよ吉水神社へと向かうというところ
コスプレ希望で名乗りを上げたと言う方がいるとのことで、静亭にて着替えに入られました。

「咲」でコスプレ・・・女性ならいろいろと選択肢も幅広そうですけど
男性となると、京太郎とかハギヨシかな?と思っていたわけですが、私は!
まさかの咲さーん!

マジですか!この観光客で賑わう今の吉野で、咲さんに扮するとは・・・
うむむ・・・その度胸、すばらです!


ちなみにこの後の移動中、観光に来られた年配の方に、
「どなたか有名な方なんですか?」と尋ねられました。そりゃ目立ちますよね(笑)



そんなこんなでやってきました吉水神社

南北朝時代には後醍醐天皇が皇居にしたという
世界遺産にも登録されている由緒正しき神社です。

・・・で、くどいようですが、これは後日撮った写真ですので
のどかな様子に見えるかもしれませんが、
イベント当日はこんなもんじゃなかったのですっ
人、人、人!あふれんばかりの大賑わい
そして当日奉納の儀式が行われたのはここ!
ってここー!?

てっきり屋内とかでやるものかと勝手に思い込んでおりまして
まさかこんな参拝客満載のど真ん中でやるとは考えもせず

この辺、私、だいぶ舞い上がっていたなぁと後で振り返って思います。
いやはや、またとない体験をさせていただいたかと。
今回の絵馬奉納、阿知賀女子学院インターハイ決勝戦出場満願成就の
儀式を執り行ってくださったのはこの方
吉水神社の佐藤宮司


憧の家のモデルがこの吉水神社であることをふまえ、「私の娘」とおっしゃったり
また、単行本化されている話は全て読まれているとのことで
終始朗らかな笑顔で、儀式に花を添えてくださいました。
 
ここから5枚は当日の写真
阿知賀編単行本1巻を手に、笑顔の宮司さん
儀式が進むにつれて祭壇も賑やかになっていきました
穏乃が表紙の阿知賀編1巻、に加えてなのコレの憧・玄登場!

玄ちゃんはこれ、兎来栄寿さんからのもの
そして、やはり同席されたファンの方から提供された憧ですが
本来のと服装が違うのがわかりますよね?神社にぴったりの巫女服です。

後で調べてわかったのですが、
これ、体の部分は「緋弾のアリア」の星伽白雪というキャラのようです。
このイベントに合わせて持ってこられたのだとか

「なのコレはパーツを組み合わせて遊べるので、色々試してみると楽しいですよ」
と持ってこられた方がおっしゃっていました。
なのコレの紹介サイトは→こちら
お気に入りキャラに似合いの姿を探してみるのも面白そうですね。
 
なんかでっかいの来た!
阿知賀女子学院と深く関わりがあるわけではない(皆無でもない)けど、
あてがわれた三宝の大きさにジャストフィット!
何だかここに来るのがさだめだったみたいだ池田人形!

余談ですが、後の5月に川口市で行われた「清澄高校の楽園」という
イベントではこの人形が「名誉顧問」だったそうです。愛されてますね池田
そして、今回参加した全員が
おお〜っと言わずにはいられなかった一品がこれ!

阿知賀編アニメで宥姉を演じたMAKOさんのサイン
大三元四暗刻さんの所持品だとか。これはすごい。


イベント後、このサインは大和上市にある
吉野町観光案内所の咲コーナーに預けられることになりました。
大和上市に行けば、当面はこのサインを見ることができますよ。
一時的にとはいえ、こんな貴重品を快く貸してくださるとは・・・素晴らしい。
 
皆さんが持ってこられた絵馬もあふれんばかりに並べられ。
灼や赤土さんももちろんいますよー


宥姉もきっと大喜びの「あったかぁぁぁい」感じに仕上がりましたとさ
 


※なお、ご存知のことかと思いますが。吉水神社での奉納イベントについてはまんたんWEBの記事で紹介されていますよ。







絵馬奉納後、記念撮影などをして、一行は再び山道を登ります。


玄ちゃん好きとしては「さこや」に続いて押さえておきたい、それが山の上の方にあるこの広場
正確には「老人憩いの広場」と言うそうです。けど、ここまで登ってこれるご老人って相当元気な方だと思うなー
どうか末永くお健やかに。



・・・で、どうしてここが重要かと言いますと(もっともこれを読まれている方はこれまたご存知かもしれませんが)
まず、1話にて、
玄ちゃんも含め
みんなでお花見をしています。
クラブに和が加わった後、
初めて遊びに行った場所

それがこの広場です。

そして何よりも
玄ちゃんがトップを飾った
桜咲き誇るこの2巻の表紙イラスト

これもまたこの広場にあるのです。


緑でも美しいところでしたが
ここはやっぱり、いつか
満開の時に見てみたいですねー


・・・と、さらに、これらに加えて、この広場
上述の2巻表紙場面のちょうど真横になるのですが
「後醍醐天皇御慰霊詩碑」という石碑が立てられています。


「賊軍襲来す笠置の山」から始まるこの詩
笠置の山ですから、これは鎌倉幕府の討幕運動の頃
したがって、この賊軍と言うのは鎌倉幕府軍を指します。
幕府を倒し、天皇中心の政治を目指そうとするものの、苦難厳しく
そこに現れたのは楠(※楠木正成のこと)
逆境といえども、天皇を救う忠臣がいたことをうたったもののようです。


・・・で、そんな忠孝とはまるで関係なくて何ですが
私がつい反応せずにはいられなかったのは、ここに記されている文字

「松の下露」
「松露袖を濡らす悲哀の情」

ええ、「松」と「露」です。「松」はもちろん松実の松。
そして、「露」は以前こちらで紹介された、松実のお母さんの名前です。
「さっきからあれが気になって・・・」と兎来栄寿さんに話を振ってみたら、同じことに思い至られていたようで、
すぐさま同意してくださいました。


「くろみつくずもち」もそうですが、このへんに反応する人、
世の中広しといえど、兎来栄寿さんと私以外にあと何人いらっしゃるのでしょうかね?
そんな、決して多くないであろう感想を即その場で共有できる・・・すばらな体験をさせていただきました。
花見に表紙に松と露
考えすぎと言われてもいい、この広場からは松実の風を感じるのです・・・!(何だそれ)



さて、松実姉妹のお母さんの名前と思われる「露子」
今のところは作中に出てきておらず、たとえば、白糸台の淡が設定資料の段階から名前が変わっていることを考えると
これで決まり!と判断するのはまだ早いのですが、
露という言葉は、当時の後醍醐天皇の心境をたとえるのに、ある意味ではふさわしい言葉だったのかもしれません。

というのは、先ほど訪れた吉水神社内にある北闕門(ほくけつもん)

この地をかりそめの御所として、
北にある京都に帰る日を願っていたと言われていますが、
ここに掲げられている碑文にも露を含めた歌が詠まれているからです。


「露の身を 草の枕に 置きながら 風にもよもと 頼むはかなさ」
 ※またも脱線しますが、もし「もよもと」に反応したとしたら、あなたはちょっとレトロなDQファンですね?

吉野は南朝の、後醍醐天皇のゆかりの地であることは周知のことですが、
天皇ご自身の気持ちからすれば、「本当はこんなところに来たくはなかった」なのですね。
阿知賀編最終回で衣が言っているように、吉野は古から修験道に関わる土地で
修行のために訪れた僧はともかく、人里離れた交通の難所という面で、天皇が目指した政の場としては絶対に適してはいません。
平家討伐後、兄頼朝と対立して追われる身になった源義経もそうですが、
ここを訪れたのは、ひとえに身を隠しやすいからであって、
願い叶うならば、早々に引き払って、自分にふさわしいと信じる場所へと赴きたかったのです。

後醍醐天皇の願いは常に京都にありました。
そのために、崩御された後、御陵は南向きにつくられるのが一般的なところ、後醍醐天皇陵は北向きです。
北闕門の碑文にもありますが、「玉骨はたとえ南山(吉野山)の苔にうずまるとも、魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」
それが遺言であり、この言葉をくんで北向きの御陵はつくられたのだそうです。


そんな夢破れた失意を、一言で表すと、それが「露」
「露と消える」という言葉もあるように、昔から露ははかなさの代名詞でした。
こんなはずではなかった・・・そんな虚無感の一端が、この単語の中に表れているように思います。


いや、まさか後醍醐天皇も崩御されて670年以上も経った今になって
こんなたとえ話に持ち出されるとは思いもしなかったでしょうけども。
しかし、行おうとした政治の在り方や、その結末については、賛否両論あるものの、
「朕の新儀は未来の先例たるべし」と、これからの未来の手本に、自分こそがなろうとした
そういう強い意気込みを持たれていたことは、心に留めておくべきことかなと思います。

(そして、意気込みはあっても、失敗する時は失敗するのだということも・・・
 後醍醐天皇にとってはまったく不本意なことでしょうけど、これもまた一つの「歴史に学ぶ」ことかと思います)







他にもこの日は本当にいろいろと案内していただきましたが
中でもとりわけ私の心に残ったのはこの場所でした。

「ひとりで歩くことに慣れてきた 中学生の春」


本編9巻に収録されている番外編「高遠原」
その冒頭の、和が自分が歩いてきた道を振り返る場面です。

案内していただいた方が、「ちょうどこの位置からならこの場面通りに見えますよ」と
教えてくださいました。草の茂った坂道の、ちょうど中間くらいの位置取りです。

小学生のころは穏乃や憧とも一緒に歩いたのでしょう、でも今は一人
その一人でいることにも、だんだんと慣れてきてしまった頃、ふと振り返る道のり・・・


実際に案内していただき、歩いてみましたが・・・
いや、自分で歩いてみてわかったのですが、これなかなかの悪路ですよ?


私の写した写真で
わかっていただけるのか怪しいものですが、
この道、下からみるとこんなんです。

かなり急です。段差もきついです。
すべり止め?として石が敷かれているとはいえ、
ハイキングならいざ知らず、
女子中学生が日常行き来するのに
適した道とは思えません。

上の方にガードレールが見えますが、舗装されたその道から
下を眺めているというわけではありません。
上述の通り、和の視点は
この坂道のちょうど真ん中あたりなのです。
明らかにこの道を登ってきています。
 


和がこの道を利用していた理由。
単純に考えると、パターンは2つ。「他に道がないから登るしかない」か「あえて和がこの道を選んでいた」か、です。
しかし前者はないと思います。ガードレールに触れたとおり、この坂道の周りには車が通れるくらいの舗装された道があるからです。

もちろん実際の吉野と、作品世界の道をいっしょくたにするわけにはいきません。
(後のページには吉野から若干離れた大和上市や、阿知賀地区周辺がモデルの場所を制服姿で歩いているシーンがありますが、
 これらの道を実際に網羅して通学しているはずもなく、あくまでもモデルだからです)
けれど、和の家は和が小6の時にこの奈良へ転校してきており、移動手段として車を用いています。
2、3年ほどの仮住まいとはいえ、車も通れないような道を使わないと入れない位置に、家を構えたとは考えにくいのです。
(和が経済的には裕福な家であり、仕事柄、家を出て動き回ることが多いだけになおさら)


となれば、和はあえて選んでこの道を通っていた・・・
その選択と、穏乃たちとの思い出を総合して考えてみると、私が思ったのはこの場面でした。

「おそいよ和っ」

「ふだん運動していないんでしょー」

「しっ・・・穏乃たちが・・・(ゴクッ)速すぎるんですよ・・・
 走る必要もない所でなぜ突然ダッシュしますか
 ・・・子供ですか」

「子供だよ!」


阿知賀編第1話にて、穏乃や憧に全然追いつけない和の苦しそうな場面です。
穏乃の「おそいよ和っ」は最終話でも挿入されており、阿知賀編の始まりと終わりを象徴するフレーズの一つとなっています。

どうにも勝負にならず、「子供ですか」とぼやくしかなかったわけですが
後に自分が麻雀でへこまされた藤田プロを見て、「いつか倒します」と呟いていた負けずぎらいの和です。
咲との関わりを持ったきっかけにしても、「自分が好きな麻雀で、麻雀が好きでもない人に負けるなんて」というところからです。
ぼやいただけでは、終われない。


きっと少しでも脚力をつけたかったのでしょうね。
実際のスポーツ学的にはどうかは知りませんが、この段差と急な勾配は足を鍛えてくれそうな地形に見えると思います。
麻雀と違って、自分が得意な領域ではないけれども
この道を歩くことで、慣れようと思ったのではないでしょうか。
友達と、穏乃たちと並んで走れるように。


そういうふうなことから考えてみると
1話の途中に挿入されている、玄も含めて「みんなでかけっこ」の場面。

圧倒的に穏乃が前を行っており、
憧はもちろん、玄と比較しても余裕がないのが見えますが、
それにしても、ともかくも和はみんなと一緒に走ろうとしているのです。

「これは私の趣味です」といういつも通りの服装からして、
出かけた時に、走ることを想定していたとは思えません。
思えませんが、この時「私はやめておきます」と
(言ったかもしれませんが)押し通さず、みんなと並んで駆けています。
また余裕がないにしても、穏乃はともかく、
憧とはそれほど離されていないあたりに
和の陰ながらの努力が感じられはしないでしょうか?

「いきなり走るなんて子供ですか」と口では言いながらも、
和は和なりに、みんなと関わろうとがんばっていたのでは
・・・と、私には思えてきます。





そんなことを思いながら、改めて坂道を見下ろしてみる。
あるいは・・・そう、ここはかつての和の夢の跡だったのかな、と。

穏乃たちとの思い出なら、友達になろうと声をかけられた銅の鳥居前など
他にもいろいろとあったと思います。
しかし、阿知賀編が始まる兆しとも言えるこの番外編「高遠原」、その最初の風景がここであった意味
それは、奈良に転校してきて以来よく通った道
であるだけでなく、和がこれまで培ってきた、友達に思いをはせながら、歩みを重ねてきた道

しかし今は一人。友は遠く離れ、今は一人。
過去の夢と、今の寂しさを併せ持つ。
この道が急であればあるほど、あえてこんな道を選んだ和の願い。
そんな努力も、今となっては何の意味もなさなくなってしまったことへの寂寥感。それを、この坂道から感じさせられる気がします。

「進学とか・・・クラス替え・・・転校・・・
 みんな少しずつ別れていく・・・
 こんな気持ちになるのなら・・・初めから・・・」
 

全てがもう過ぎ去り、無駄になってしまった。切なさ、やりきれなさを覚えずにはいられなかったのでしょうね。



でも・・・決してムダではなかったのです。



私がそう感じるのは、Aブロック準決勝、8月11日の朝。
すばら先輩の試合を観戦しようと思ったら、同じ卓に玄がいるのを見つけ、
穏乃たちが阿知賀女子チームとして全国大会に出場していたことに気づきます。
旧友たちが来ていることを知った和はいてもたってもいられず、
優希・咲と一緒に試合会場に向けて駆け出していくのです。

試合会場へひた走る三人。
やたら揺れる胸にまず目が行ってしまいますが、
ふと気がつくのは、この時の和、背景が流れるほどの、
それなりのスピードで走っているのに全く息を切らしていません。

「普段運動していない」と言われ、
「穏乃たちが速すぎるんですよ」とぼやいたあの頃、
転校当初のヘトヘトになっていた頃と比べれば、
格段の成長と言うことはできないでしょうか?

優希と遊んでいてさらに鍛えられた、というのももちろんあるでしょう。
でも、続けてきたのは麻雀だけじゃない。
あの時、歩き続けたからこそ
今日この日に駆けつけられるだけの基礎を養うことができた。
(医学的に見ても、和が奈良にいた小学校高学年前後の成長期に
 運動をしてきたかどうかで、身につく力はだいぶ違うのだそうです)

だからこそ、穏乃たちと再会することもできた。

「必ず決勝に来てよ」「私自身はできるだけがんばるつもり」と
互いに誓い合うことができた・・・


たとえすぐに成果は見えてこなくても、
重ねてきた過去は今に至る道を開き、やがて未来へとつながっていく。


草の生い茂る『のどっちの道』を歩き、振り返って、
そんなことを私は考えてみました。







散策も大詰め。阿知賀編に関わるあたりは大体回ったかな?と言う頃
真打ちは後からやってくる!やましろ探訪記のひでさん、
前述の「老人憩いの広場」でついに合流!

この時、時刻は既に3時半を過ぎようと言う頃。
当初のスケジュール上では解散は4時になっていましたので、まさにギリギリ。
明け方の地震がこんなに尾を引くことになるとは、
思わぬことで大変だったことでしょう。
よくぞ駆けつけてくださったと思いました。



さて、ここからひでさんの阿知賀編にまつわるよもやま話が始まります。

特に興味深かったのは
金峯山寺にある蔵王堂前で聞いた穏乃のこと

まず最終回、大将戦で
穏乃の背後に現れた不思議な物体、
あれはこの蔵王堂にまつられている
「蔵王権現」を模したものだということです。
 
蔵王権現をまつる金峯山寺⇒
アニメEDの最後に出てくる寺がこれ 
穏乃の周りを囲む炎の輪。これが蔵王権現の一つの象徴 

関連ということで千里山の怜と竜華にまつわる話も
怜の苗字である「園城寺」通称三井寺とも言うそうですが、
これは滋賀県にある「弥勒菩薩」をまつる天台寺門宗の総本山。
この園城寺で、4月8日とされる釈迦の生誕を祝う会。これを「竜華会」(龍華会)と言うのだそうです。

蔵王権現も弥勒菩薩も、吉野の修験道を開いた役小角に関わる存在なのだとか
なるほどーこれだけキーワードがズラッと並べば、「偶然」じゃないですね。「当たり」ですね。

これらの穏乃や怜・竜華の元ネタらしき伝承にまつわることについて
こちらの方が詳しく考察されていますよ。



そして、穏乃についてもう一つ、例のジャージ
憧に言われるまで、袖の有無の違いはあってもほぼオールシーズンあのジャージで過ごしてきた穏乃ですが、
あれに何の意味があったのか。

ポイントは色ということで、紺色。そして山を飛ぶように駆け回る穏乃の様からイメージされるのは鳥。(あえて猿とは言わないよー・・・)
紺色の鳥・・・つまりカラス。すなわち「やたがらす」
やたがらすとは吉野にまつわる伝説的な生き物で、通りを歩くと「やたがらす」という銘柄のお酒を売っているお店もあります。
※ちなみに兎来栄寿さんが以前松実館モデルの「さこや」に泊まった時、このやたがらす飲み放題の恩恵にあずかれたとか


やたがらすの特徴は3本足であること。それを踏まえていくつかの画像を見ますと
アニメの咲阿知賀編のロゴ
バックに穏乃のシルエットがあるのですが
これを反転させると、

やたがらすをシンボルに使用している
JFA(日本サッカー協会)のロゴに
似ているんじゃないかと言う話。

さらには最終話冒頭のこのカラーページ
なんでかジャージの左だけ袖を通しておらず
「これ前から見るとどういう状態になってるの?」
という姿の穏乃が描かれていますが

両腕は両足と重なる、
もしくは隣接する位置にあるので同一とみなし、
この両足に加え、舞い上がった左袖を3本目の足と見立て
三本足のやたがらすをイメージすることも確かにできると思います。

そして穏乃の苗字である「高鴨」
これの由来は、奈良御所市にある「高鴨神社」らしいですが
ここもまた、やたがらすにまつわる伝承を持つ社なんだそうです。

この考察についても、詳しくはこちらのひでさんのHPの記事をご覧になるとよいかと。


やたがらすは道に迷った初代天皇:神武天皇の道案内をした導きの神であるそうです。
それを模した「ジャージ姿の穏乃」とはつまり、
解散して数年来、行く道を失っていた阿知賀女子学院麻雀部を「全国へ」と導いた
先導的な役割を担っていたのではないかというお話でした。


話を聞きつつ、ただただ頷くばかりの私。いやーもう説得力がすごい。
前述の穏乃・怜・竜華に関わる伝承といい、この穏乃にまつわる話といい
自らの推論に加え、他の方の考察を参考にしつつ、今回の話をまとめられたのだと思いますが
これはもう納得するしかないな、と思うことしきりでした。



あとで挨拶させていただいたところ、ひでさんも私のコラムのことをご存じだったようで
ずいぶんと誉めてくださいましたが、いやはや恐縮です。






いよいよ日も西に傾き、解散の時が近づいてまいりました。
スケジュール変更もあり、当初解散予定の4時よりも随分遅くになって朝利用したロープウェイ周辺へと戻ってきましたが、
かかった時間に見合う、とても有意義な一日だったと思います。

お開きの前に、吉野町観光協会の方が作られたと言う
この日のための「おみやげ」が配られました。

『阿知賀女子学院麻雀部 インターハイ決勝戦出場満願成就記念
 2013.4.13 吉水神社』

かわいい穏乃が掘り込まれた素敵な記念品でした。

駅へと向かう道で、また電車の中で、皆さんとも徐々にお別れ。
この日行動を共にして幾度となく思ったのは
綿密な取材をして作品中に取り込んだ小林先生の着想にも驚くばかりですし
それを探究していくファンの皆さんの熱意もまたすばらしいな、と。

帰りの道中で、「今日のようにいろいろなところを巡って行かれたことがあるんですか?」と尋ねたら
北へ南へ東奔西走、本編舞台である長野やインターハイが行われている東京はもちろんのこと
様々な場所を探訪している方もいらっしゃるようで。
(そもそも今回のイベントにしても、大阪や奈良よりも、関東方面からはるばる来られた方のほうが多かったとか)

ありきたりな言い方かもしれませんが、ひとえに作品に対する愛あってのことですね。
それだけ好きになれる作品にめぐりあうと言うのはなかなかないことだと思います。
きっとこれからも訪ねまわられることでしょう。どうかよき旅となりますよう。



近鉄で阿部野橋まで戻った後、一緒に降りた方々となんばへ行って
お好み焼き屋で少し遅めの夕飯。
大阪育ちのくせにお好み焼き作りで一番ハデに失敗するという
大ボケをかましてしまいましたが、
食べられればいいんですよー食べられれば。
咲日和の愛宕姉妹のエピソードを思い出しながらからあげもつまんだりしていました。

見ているだけでお腹のすく愛宕の巻


『おうちに帰るまでが遠征です』

私の遠征が終わったのは、日付が変わるかどうかといったくらいだったでしょうか。
遠路から来られた方の旅路の終わりはそれよりももう少し先だったでしょうね。
みなさん無事帰路につかれたでしょうか?
4月13日、この日一日、本当にお世話になりました。ありがとうございました。







はてさて、4月13日は無事終わりましたが、この寄り道コラムはまだもうちょっと続くのです。(我ながら相変わらず長いね…)

イベントに参加したおかげで、ネット上でやりとりしていた方々と実際にお会いすることができ、
ひでさん作成の「吉野山舞台案内」という、どこがどの場面で使われたか一目でわかる便利なマップをいただき、
そして絵馬奉納に参加し、様々な場所をめぐって、お話も聞き。
一日のうちにたくさんの内容がつまった、とても有意義な日でしたが、しかし、心残りはありました。

色々と案内していただいたものの、十分に見きれるほどの余裕は、やはり一日では難しい。
そして皆さんが持ってこられた絵馬をじっくり見させてもらう時間がなかったこと。
気持ちの上では、ずらっと全部並べて写真撮らせてください!くらいまで思っていたので、
せっかくの絵馬を鑑賞せずに去るのはあまりにも惜しい・・・



ということで、リターンマッチ!ゴールデンウィークの期間を利用して、もう一度吉野山へ行ってきました。
いただいた資料を片手に、地下鉄・近鉄を乗り継いで吉野駅へ
改めて思うと、大阪市内から吉野って、特急でなければ片道1000円ちょっとで行けるんですね。


5月の吉野は観光ピークだった先月に比べると人は少なく、出店もほとんどなくなっていましたが、
それでも行き来する方はそこそこにおられ、賑やかと言うほどではないけど、新緑も豊かで
お店を営む方々にとってはどうなのかはわかりませんが、個人で歩き回るにはちょうどよい環境になっておりました。
(※お察しのことと思いますが、今回掲載している写真のほとんどはこの時撮ったものです)

さて、ふもとにある案内図でこれからの行程をチェック
吉野駅から蔵王堂までは1km、吉水神社へは1.6km
今回の目標地点、花矢倉の近くにある水分神社へは4.7km。

往復でほぼ10kmですかー。
あちこち寄り道することを考えると、実際にはもっとですね。しかも山道だし
前回はロープウェーを使いましたが、今回は全て自分の足で登ります。


黒門を通り、松実館モデルの「さこや」横の通りを抜け、蔵王堂、そして吉水神社へ
拝観料を払って、神社の中の展示物を見学。
今回のお目当ては吉水神社の絵馬なので、この時に拝見させてもらったわけですが(※これは拝観料払わなくても見られます)
それについてはまた後ほどまとめて。

ところで絵馬を鑑賞しにいくと、必ず目に入るであろう「勝手神社」という札

傍に新聞記事が掲示されていて、
それによると勝手神社は吉水神社のすぐ傍にあるのですが
放火と思われる火事によって焼失してしまい、
復興のために宮司さんが募金をお願いしているのだとか。

その勝手神社は先月昼食をいただいた静亭のちょうど真向い。
上記の吉野山民宿案内図にも記載されている
吉野の代表的社寺の一つなんだろうと思いますが・・・
な、なるほど・・・閉鎖されていますね。前回は気づきませんでした。
閉鎖後に石段の前に立てられたであろう「境内危険立入禁止」の札が
すでにずいぶん古ぼけていることもわかります。

焼失は2001年9月のことだそうで、もう12年近く前のこと。
壊すのは一夜でも復元するのには何と時間のかかることか・・・





さあ、吉水神社は今日のコース片道のまだ半分くらい。まだまだ先は長いよー


舗装されているとはいえ、山道。上る、上る、上る。
途中でおっ?と思って立ち止まったのは「吉水院宗信法印御墓」と刻まれた石碑

阿知賀編と直接関わりがあるかはともかくとして、4月5月と続けて訪れれば、どなたのことか私にもわかってきますね。
その名の通り、吉水神社に祀られている南北朝時代の南朝の忠臣とされる僧です。
この方が吉水神社(当時は吉水院)に後醍醐天皇をお迎えしたから、吉水神社は南朝時代の御所となっているわけです。

すぐそこということなので、お参りしてみました。
そこにはいくつかのお墓が並び、その中の一つ、
石の囲いが施されたこれがおそらく吉水院宗信法印公のお墓
・・・と、すぐ傍にいやがうえにも目立つ、どーんと大きな顕彰碑。
表裏合わせて読むと、昭和11年12月に作られた石碑のようで、
当時の海軍大将が書かれたと言う「忠誠義烈」の文字が圧巻です。

昭和11年と言うと、5年前に満州事変があり、この翌年には日中戦争が始まります。
いずれ来る戦争に向けての機運が高まってきた、その直前なわけですね。

その頃に軍の働きかけで、南朝の忠臣とされる人をたたえる碑文が作られる。
こう書くと失礼かもしれないので、そこはどうかご容赦していただきたいのですが
南朝の忠臣というのは、当時格好の教育素材だったのでしょう。
何せ都を追われ、本当は来たくなかったのに、仕方なく吉野へ逃れた後醍醐天皇。
おいそれとは跳ね返しがたい逆境に追い込まれながらも
主君を支えるべく、力を尽くしたと言うかつての忠臣たち。
その忠誠心、見事なり。みな彼らの心を忘れず、主君のためにその命を燃やすべし・・・
というわけです。


自分たちが世を去って何百年も経つ頃に、そのような使われ方をするとは思いもよらなかったでしょうが
源義経とその主従といい、勝ち目の薄い主に従って忠誠を尽くす家来、というのは、昔から日本人好みの美談でした。
しかし美談と言うのはめったにないからこそ美談なのですね。それが当たり前なら誰ももてはやしません。
これを「皆もそうせよ」と促そうとしたあたりに、戦争へ向かう熱狂の一端が感じ取れるかもしれません。

戦争が終わり、当時の教育は行き過ぎたものとして、多くのものが廃され、あるいは見直されることになりました。
戦争を知らない世代の私ですが、当時のような教育を受けたいとはもちろん思いません。
ですが、「南朝を支えた忠臣がいた」ことと「軍国教育に利用した」ことは本来時代的にも、内容的にもまったく別のことです。
後にどう使われたかということによって、南朝の人々の生きた足跡が変わるわけではありません。
利用する価値のある美談だからこそ利用もされた、それほどの忠誠であったこともまた確かなのでしょう。
その足跡を見てどう思うか、それは個々の感想にお任せするとして
肯定するも否定するも、何もかもをいっしょくたにはせずに、歴史と言うのは見てみたいものですね。なかなか難しいことですけど。

  またいっしょくたにしないと言う意味では、先ほどから否定的な書き方をしている軍国教育にしても
  私の祖父は生前、軍隊で受けた教育のことをそれなりに評価していました。
  出征し、戦友を喪ったことで、戦争の怖さは重々承知していましたが、
  軍隊で鍛えられたからこそ、今の自分があるという自負もあったようです。
  「今の若者も戦争に行けとは言わんけど、何年かくらい軍役につくのも悪くは無かろう」と、何度か聞かされたものでした。
  私自身は賛同しかねますけど、そういう考え方もできるということなのでしょう。




さて、まだまだ先は長いよー
舗装されているとはいえ、山道。上る、上る、上る。

進んだ先もまだ山道。上る、上る、上る・・・


・・・


・・・4月も思ったことですけどね。

前述の「遅いよ和っ」→「穏乃たちが速すぎるんですよ・・・」の場面
これが都会のもやしっ子ってやつかーと憧に軽くからかわれていますが

いや、こんな道よー走りませんよ!ほぼエンドレス坂道ですよ?
上りは言うまでもなくしんどいし、下りは下りで正直怖い。
地元の子はさすが、この地形に慣れて鍛えられているのかと思いますが、
私の心境は圧倒的に当時ののどっち寄りです。
写真ではわかりにくいと思いますが⇒
ふもとの吉野駅から花矢倉付近に至るまで 
ずーっと坂です。景色はいいですけどね 



当時ののどっちがフラフラになっても、平然としている穏乃と憧
その憧をして、「ムダ体力」と言わしめる活発な穏乃。

その穏乃の脚力はもちろん山登りで生かされ、そしてさらに磨かれたわけですが
ある意味で、彼女のムダ体力が存分に発揮された?この場面
インターミドル決勝の中継で、和が優勝したところを目撃した直後の穏乃!

「わあぁぁっ!!
 はっ!・・・何走ってんだ私・・・」


(その後、憧に電話)


「あ・・・またやっちゃった・・・」
 

ちょっと!背景!山!
スタートはテレビの前でしょ君!
我に返るまでの一息で、自分んちからいったいどこまで走ったんだー!?


さすがは『阿知賀のやたがらす』・・・すばらっ







穏乃のムダ体力をちょっと分けてほしいものだと、
足に疲れを感じながらも花矢倉展望台に到着。

ところで、どうしてここを花「矢倉」と呼ぶのかと言いますと、
源義経の従者であった佐藤忠信が、主を逃がし、
追っ手を迎え撃つために一人残って迎え撃った場所
敵を見張るための矢倉であったわけですね。

そういう歴史的な、それも戦にまつわる由来を持つ場所ですが、
それだけに見晴らしも良く、吉野山を一望できます。
  
1話のこの描写はこの花矢倉展望台から撮られたもの⇒


左が4月。右が5月
展望台のほぼ同じ位置から
蔵王堂(中央やや右上)を
見下ろすようにして撮った2枚です。

4月のこれ、茶色っぽいのは
概ね桜だと思いますので
桜がピークだったら
もっときれいだったでしょうねー
5月にはすっかり葉桜になって
これはこれで鮮やかな緑を
見ることができます。



その後、さすがに疲れて一休み
上ってきた時に茶店を経営されている年配の方が「帰りに寄ってなー」と声をかけてくださったので
せっかくだからと帰りに寄らせてもらいました。わずかばかりでも地域振興に貢献しないとですよー

お店ではくずもちを注文・・・と、サービスで甘酒もつけてもらえることに。
アルコールは入っておらず、代わりにショウガが入っていてとてもおいしく。
甘酒と言えば、子どもの頃、桃の節句の時に飲んだ覚えがありますが、正直おいしいとは思えませんで。
口にしたのはまさにその時以来だったのですが・・・うん、これはいける。美味い。

お店の中には、さまざまな時期の吉野の風景を撮った写真が
飾られており、右はその中の一枚。冬の吉野です。

雪化粧という言葉がぴったりの、全面冬模様。
きっとものすごーく寒かったんでしょうね。
でも見ているだけの分には蔵王堂の屋根を始め、
すっかり雪に覆われているのがとてもきれいで、
つい写真の写真を撮らせていただきました。

「吉野は桜の季節だけじゃないよ」とはお店の方の話です。

また、店には
世界遺産としての吉野山を
アピールするために作られたらしい
ポスターが何年分か貼られていました。

右のこれもその中の一枚
桜の咲き具合が1巻表紙の
玄ちゃん・宥姉・灼のバックの風景に
近い感じがしたのですが
いかがなものでしょうか?


その後に来られたお客さんとしばらく店内でくつろがせていただき、英気を回復したところで出立。
上りと下りの差は大きいとはいえ、上ってきた分だけ道のりがある。がんばるよー







ずんずんと来た道を下り、吉水神社まで戻ってきました。
上りの時に、吉水神社を既に訪れていたのですが、
帰りにももう一回寄りました。というのも「しくったなぁ・・・」と

今回は神社内に展示されている品を見物していこうと思って、
受付で拝観料を払って中に入ったのは上でも書きましたが、
その時、受付に座っておられたのが、イベントでお世話になったあの宮司さんでして。


「先月はお世話になりました」って・・・

一言言えばよかったんじゃないかと。


拝観を終えて、吉水神社を出て、花矢倉近くまで登ってから思いました。早く気づこう!そういうことは!
もちろん宮司さんが私のことを覚えているはずはないですが、そんなことはどうでもいいのです。
この5月が比較的のんびりしているからなおさら思う、あの観光ピーク時にイベント協力してくださったことの忙しさ
もう大変だったと思います。
お仕事の邪魔をしてはいけませんが、拝観料を払った時に、「ありがとうございました」と
せっかくいらっしゃったのだから、せめて挨拶くらいすればよかったのに。

というわけで、帰る前にもう一度と吉水神社を訪れたわけですが・・・この時には受付は別の方に代わっておられました。
つくづく私、要領悪い。


どうやらまた今度吉野を訪れた時の「宿題」ができたみたいです。
タイミングが合えばいいけどなぁ・・・


致し方なく、それは今後に残しておくとして・・・では気を取り直して、今回最大の目的、絵馬鑑賞!

ズラーッと並んでおります。
これを見るために来たんですよー

私の絵馬も2段目の真ん中あたり
割とわかりやすい位置にかけてくださっていました。
やあ、久しぶり!(といってもまだ1ヶ月ほどですが)

大げさかもしれませんが、
展覧会で自分の作品を見る時の気持ちって
こんな感じなのかなぁ、と
嬉しさやら気恥ずかしさやら、そんな感覚。

以下、本名?が書かれているところは伏せつつ(HNの方はそのまま)いくつか(勝手に)紹介させていただきますよー

まずは兎来栄寿さんの玄ちゃん絵馬
ご自身のブログやまんたんWEBの記事にも
写真が掲載されているので、見覚えのある方もいらっしゃるかと。

「決勝戦での活躍、
 そして最後に松実玄さんが笑顔である事を
 心より祈念致します」

まさしく、そうですね!
最後に笑顔であること。ここ重要、とても重要。
玄ちゃんが笑顔でさえいてくれたなら・・・
もうそれ以上何も言うことはないのです

そして兎来栄寿さんの絵馬と
ちょうど表裏一体の形で掲げられていたのはこの絵馬。

「祈願!ドラゴンロード復活!」

なに、この、さあ私に反応しろと言わんばかりの素敵コンボ

たまたまこうなったのか、
同じキャラだということで意図的に配置したのか。
何にせよ、ありがとうございます。
重ねて言うと、これらの絵馬が私の絵馬の近くにあったのも
個人的にはとても嬉しいです。
もうこれだけでここに来たかいがあったと思う私。


そして、このダブル玄ちゃんの隣で、寄り添うように微笑んでいる宥姉。
これまた素敵すぎるチョイス。そして上手い!
宥姉の絵馬は昨年12月に奉納されたもので
同じ方が、今回のイベントでは
灼ちゃんを描いておられたようです。
いいですねーあったかいですねー
「ファンのみなさんに幸せあふれますように」
書かれた言葉も「あったかーい」です。

お名前のところは伏せさせていただきましたが
その真上にある「アトリエアクア」の文字
検索してみると→ここ
奈良にあるデザイン事務所の方なのですね。
イベントのこともHPのNEWSに掲載されていました。
上手いのも納得です。なるほどー

4月13日のイベントで
話をしてくださったひでさんの絵馬もここに。

奉納:平成25年元旦、とあります。
思わぬ地震で当日は奉納の時間に間に合わなかったひでさんですが
元旦にも吉水神社に来られていたのですね。

「吉野山から全国へ!」
そして全国から吉野山へ、集まられたみなさんのおかげで
楽しい時間を過ごすことができました。
これもひとえに先達があってこその賜物です。
 

私のしょぼい手が映りこんでてすみませんが
4月イベントの間違いなくMVP!
スタジオキムチさんによるダブルハルちゃん
手前が前回イベントがあったと言う昨年10月で、もう一つが今回
移動の手間もあって、今回は書く時間がほとんど取れないなか
がんばって仕上げられたのだそうです。すばらでした!

ところで麻雀素人なのでよくわからないのですが
「ドラ40・・・」って可能なんですか?

 

フラッシュの光が入り込んでしまっていますが・・・(すみません)
「頑張れ灼!! 頑張れ部長!!」の応援メッセージと共に
描かれた灼の笑顔。

準決勝副将戦が始まるまでは
見せ場が抑えられたままだった灼ちゃんでしたが
あの場面で大いに気を吐きましたねー
「ハルちゃんが置いてきた何かを取り戻せますように」は
上記のスタジオキムチさんの絵馬に書かれたフレーズですが
その何かを取り戻すために奮起した鷺森部長、お疲れ様!

 
続いてこちらは穏乃と憧。
猫口みたいになってる穏乃がかわいい
憧共々、とても優しい絵柄です。

描かれたご本人が実際そう意図されたのかはわかりませんが
周囲に6つの星が散りばめてあるのもいいなぁ、と。
ええ、赤土先生含めて、ちょうど阿知賀メンバーと同じ数ですよね。

「みんながBESTを尽くせますように!!」
阿知賀にしても、他の学校にしても、どれだけ練習を重ねてきたとしても
ままならぬことがある。それが試合というもの
みんなのBEST・・・見たいですね。

牌を手に、キリリと構える穏乃
これまたうまー、描きこみすばらー
指先までしっかりと描きこまれています。(指って難しいんですよね)
持っている牌にも「七萬」と細かく刻まれています。丁寧だ。

「遊ぶんだ・・・和と!!」
阿知賀編の始まりを告げたとも言えるこの言葉
どうやら和と同じ舞台に立つチャンスは得られたみたいですが
でも、オーダーの関係で同じ卓につくことはできないんですよね?
穏乃にしても憧やあるいは玄にしても。

そのへん、どうやって『遊ぶ』を完遂させていくのか、要注目です。
「立先生、あぐり先生、関係者の皆様、これからも頑張ってください」
まさしく。

 

コミカルなSD穏乃
玄ちゃんも結構デフォルメチックに描かれることが多いのですが
(主にあぐり先生によって)
静と動と言いますか、玄ちゃんは比較的ぽんやりモードな一方、
穏乃は生き生きと動き回るような活発な感じが表れてきますね。
穏やかなのは名前だけ!(byキャラクターソング)

「早く清澄の魔王達との対局が見たいです(懇願)」
ま、魔王・・・達?
清澄の魔王は私も聞いたことありますが
いつの間にやら複数形になってますよ!?


周囲に桜の花びらが散りばめられたこれは2巻表紙の玄ちゃんですね。
絵馬奉納「1拝目」と書かれてあります。
1ということはきっと次があるということでしょうか?
(勝手に)楽しみにさせていただきますよー
 ※ちなみに絵馬そのものは、もともと馬を奉納することが起源なので
  1体、2体と数えるそうです。・・・と、さっき調べて知りました。枚じゃないんですね。


「今年こそ点数計算できるように!」
私もできません。今後もできる気しません。
麻雀って、難しいですよね?
(麻雀部ってどの学校もみんな相当賢いんじゃないかと)


「来年また来ます、今度は満開の桜で!」と書かれた絵馬
ゴールデンウィークに歩いてみて
新緑の季節を散策するのもなかなかオツなものだなーと
個人的には思ってみたりもしますが、
吉野と言えばやはり桜。阿知賀編でも随所に描かれていますし
満開の桜をじかに見ておきたいところですね〜

脱線しますけど、この言葉を見て
「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」を思い出す私。
わかる人・・・います?(往年の高校生クイズの名選手です)

 

“クロチャー” “ノドチャー” “アコチャー”
この○○ちゃーを定着させたこどもクラブのみんなはかわいい。

「和が穏乃達と遊べますように!!」
「深山幽谷への挑戦!未発見の舞台を発見する」
え・・・もしかして、最終話の穏乃がどこに立ってるのか
山の中を探していると言うことですかもしかして

(安全祈願)
本当に、気をつけて行ってきてくださいよーいつか念願成就されますように。

シンプル・イズ・ベスト!とでも申しましょうか
阿知賀女子学院のメンバー全員をオーダー順に記し、
そして願いをこめて書かれたこちらの絵馬

「嵐に負けず咲き誇った吉野の桜のように
 決勝でもきれいに咲きますよう」


もちろん主人公であり、タイトルである『咲』を意識した言葉でしょう。
果たして清澄も阿知賀も、白糸台も、そして上がってくるあともう1校も
タイトルにふさわしく、皆きれいに「咲」くことができるでしょうか?
心配しつつも暖かく見守るのみ、ですね。

 
左上の桜以外にイラストはなくても
サーッと目に飛び込んでくる感のある見栄えの良さ
文字の配置と色遣いが絶妙ですね。

この絵馬には「遊ぶんだ!和と!!(笑顔で)
「すばらですっ!!」「阿知賀のレジェンド!!」

阿知賀編を代表する言葉が細い側面にも書き込まれており、
書かれた方の丁寧な心遣いがうかがえます。
咲日和のアニメですかーそれはぜひ見てみたいですねー
 

拝見させていただいた中で
とりわけほっこりさせてもらったのはこれ
1月3日付になっていますので、初詣で来られたのでしょうか。

「宥姉、玄ちゃん。ずっと仲良くいてください。
 宥姉には玄ちゃん、玄ちゃんには宥姉」


いいなあ・・・これ。まさにそれ、まさにこれ!
大阪より来られたと言う方、どこのどなたかは知る由もないですが、
諸手を挙げて同意させていただきます、すばらです!!

宥姉と玄といえば、こちらの絵馬も。
「祝」の文字が大きく踊っている横で二人並んで、
玄は満面の笑みで。
照れているのか、ちょっとはにかみながらも微笑んでいる宥姉。
二人の特徴をつかみつつ、仲睦まじそうな姉妹がとてもかわいい。

この方もイラストに描き慣れた方かとお見受けします。
眼福でした。幸せです。
 

オチ担当みたいな扱いですみませんが
多分そういうツッコミ待ちの絵馬だと思いますので。

「iPSの研究が進みますように」

ノーベル賞も受賞した、これからの医学に夢を紡ぐiPS細胞!
その研究の発展は多くの日本人の願いと言って過言ではありません。
・・・が、「原村和」と名前が添えられているだけで、
何か・・・こう、ビミョーな気持ちになるのはなんでなのか。

  「そういえばiPS細胞というので同性の間でも子どもができるらしいです」
  のどっちも妙なこと口走ったものですねー
  もっとも言ったのは一回だけで、割とさめた顔で口にしているんですけどね。
  また、言った相手が咲じゃなくて優希なのも、ポイント・・・かな?


 

紹介のラストは
やっぱりこの5人勢揃い絵で締めくくらせていただきます
百花繚乱。花よ、咲き誇れ!

ぼかしましたが、お名前から察するとイベント中の
吉野山散策の際にいろいろ案内してくださった方かと思います。
(記憶違いだったらすみません)

おかげさまで楽しく、かついろいろと勉強になりました。
ありがとうございました!

 



とまあこんな感じで一通り拝見させていただいたところで・・・最後に少しばかり真面目な話


絵馬がかけられている場所の全体像は、先ほど写真で紹介しましたが、
その右上にやや色の変わった絵馬があったことに気づかれた方もいらっしゃったかもしれません。
日付はいずれも約三年前、平成二十二年四月十一日と、同年六月二十七日
書かれた方は・・・これは実名で構わないでしょうか。「横田滋」さんと「増元照明・優子」さん

言わずと知れた、北朝鮮による拉致被害者のご家族の方々ですね。
「北朝鮮による拉致被害者が一日も早く帰国する事を祈ります」
「必ず救出!安寧な日々を」と横田さん・増元さんのそれぞれの絵馬に書かれています。

絵馬の「掲示期間」が普通どれくらいなのか、私にはわかりませんが、
他と比べて、ひときわ長くここに掲げられていることが明らかなこの2枚。
おそらくは、拉致問題が解決するその日まで掲げられ続けることになるのでしょう。
で、あれば、いつか取り外される日が来ることを願った方がいいのかな・・・?
そんなことを考えながら、ここは遊び心をいったんしまいこんで、粛々と一礼をさせていただきました。







さて、「宿題」は残りましたが、その日吉野山で見たいと思っていたことは大体巡ってきたので
夕飯代わりにと柿の葉寿司を買って、駅へと降り、急行に乗る。けれど阿部野橋へ・・・と戻る前に、大和上市で下車

目当ては駅前にある吉野町観光案内所。
咲コーナーが開設されたということで、ぜひ立ち寄ってみようと思いまして
 
 入り口前の黒板に『漫画「咲」の展示コーナーも』と書いてあります⇒


中に入ってみると
確かにこのようなコーナーが。

大三元四暗刻さんから貸与された
かの「宥姉サイン」も
しっかり展示されています。

『吉野が舞台になっている今話題のアニメです!
 ぜひ「交流ノート」にメッセージを残してくださいね』

と2巻表紙のイラストが添えられた掲示の後ろには
アニメ1巻と、咲本編・阿知賀編の単行本
本編が1・2巻と11巻、阿知賀編が1〜3巻と5巻

なんで阿知賀編、4巻だけ抜けてるの?というより
開設当時に1〜3巻がまず置かれ、
その後、ファンの方が4月発売の最新刊を寄贈してくださった
というのが正しい流れです(※交流ノート参照)
 


壁面にはこの前のイベントで撮った記念撮影写真。隣には新聞記事
4月14日付、イベント翌日の奈良新聞ですね。こんな記事内容でした。

 『アニメの舞台・吉野探訪』

  人気アニメ漫画の舞台になった吉野地域を盛り上げようと、
  吉野町吉野山で13日、作品に登場するスポットなどを探訪するツアーイベントが行われ、
  県内外から34人が“夢の世界”を楽しんだ。

  マージャンで全国制覇を目指す女子高生たちが全国高校総体(インターハイ)を
  勝ち抜いていく現在進行中のストーリー。吉野山周辺に実在する地名や景勝地が
  数多く登場する外伝があり、テレビアニメ化もされた。

  イベントは吉野町などの協力で、ファンが実行委員会をつくって企画した。

  外伝主人公らの決勝進出を喜び、吉野山の吉水神社(佐藤一彦宮司)を参拝。
  祈とうに参加し、「優勝」などと願をかけた絵馬を奉納した。

  神奈川県の大学生は、「キャラクターが生きている土地に来たという実感があり、
  とても新鮮」と話した。セーラー服を着て登場人物になりきって散策する参加者もいた。


さて、ここでのお目当てその1
ひでさんが手がけたと聞いた「吉野山舞台案内」

表紙の写真がどこかと言うと、さこやさんの近く
例のローアングルでなんてとても撮れない、最終話エピローグのカラー場面です。

けれど、すごいのは、この後紹介する交流ノートを見る限り
ひでさんがこの舞台案内25年3月号を持ってこられたのは3月3日
そう、阿知賀編最終話が掲載されたガンガン発売日(3月12日)より前なのです。
まさかの一致!こんなことがあるものだとは・・・さぞ感無量だったでしょうね。
開くと、中身もすごい
なんですか、この詳細な資料。
そんじょそこらの情報誌よりよほど濃密なんじゃないかと。
いや売れますよ、これ。売られたら買いますよ、私。

ここまで調べ上げて、かつまとめ、公開できる形にして
しかもおそらく無償で案内所で設置するところまで話を進めた経緯を思うと・・・
うーん、感嘆のため息しか出ませんねーお見事。

そして、ここでのお目当てその2ー
交流ノートです。
右上には「阿知賀女子学院  新子 憧」と刻まれた名札が

絵馬の件で多分おわかりの通り、
私はこういうファンの方々の手がけたものを見るのが大好きでして
ここに来たならば、これは見なきゃなぁ!と

ニヤニヤしながら読んでました。傍から見てるとつくづく怪しい奴です。


案内所ではレンタサイクルも扱っているので、レンタル料700円で一台借りて、上市周辺をサイクリング
単行本のカバー絵にもなっている辺りを中心に巡ってきました。
ホント、
舞台案内のおかげで
探しやすい!

満足です。(撮影アングル的にはかなり「青い」と思いますが。横幅足りてないし。まあ素人はこんなもんです)


途中、写真を撮っている時に、近所にお住まいの方に
「最近ここで写真を撮っている人がいるんだけど、なんで?」と尋ねられました。
持っていた単行本を見せて、ここがモデルになっているんですよ、と説明したところ
「なるほどなぁ、そう言えば案内所にもそういうのがあったなぁ」と納得してくださったようで。

確かにそれは知らない人から見れば、何でこんなところを撮っているのか不思議でしかなかったでしょうね。
でも迷惑だとかそんなことはおっしゃられず、頷いてくださいました。
おそらくはこの場所を特定した先達の皆さんの態度のおかげでしょう。
うん、やはりマナーは大事。今後来るであろう方のためにも、私も気をつけないと、ですね。







そんなこんなで、4月13日のイベント、ゴールデンウィークの単独リターンマッチを経て
吉野山とその周辺を私なりに堪能させていただきました。

最後に絵馬と同様、
私が訪れたその日までに交流ノートに書かれていた皆さんのコメントを
(これまた勝手に)一部抜粋して紹介させていただいて今回のレポートを締めくくりたいと思います



○「吉野町観光案内所」開所、誠におめでとうございます。
 また「咲‐Saki‐」コーナーも設けていただき、大変うれしいです。
 ファンが集えることを願って、交流ノートを置かせていただきます。

   平成25年2月9日付、交流ノート最初の執筆はもちろんひでさんです。


○案内所開設おめでとうございます。
 新聞でココの事は知っていましたが、単行本の店舗別特典コンプの為に各巻5〜6冊持っているので
 寄付にでも、と思ってたんですが、町長さんが私財で置かれたとのことで、元吉野町民の私としても感慨深いです(笑)
 作品と共に吉野が末永くファンの皆様に愛されますように。

   後のノートを見ると、本編11巻と阿知賀編5巻を寄付してくださったのはこの方のようです。有言実行、ですね。


○案内所開設おめでとうございます!
 西日本一周の折に立ち寄らせていただきました。
 ここの事を旅立前日に知り、咲ファンとして行かない訳にはいかない!と急きょ立ち寄ることに(笑)
 吉野町と咲が末永く愛されることを願って・・・
 あ、詠さん、Happy Birthday!

   2月23日は三尋木プロの誕生日です。西日本一周ですかー3か月ほど前なので、もう旅は終えられているでしょうか。よき旅でしたでしょうか?


○本日は咲阿知賀編の最終話の掲載された
 ガンガンの発売日ということで吉野までよらせていただきました。
 「咲」をありがとうございます。

   最終回を読んだ時には「終わって寂しい、けどありがとうございます」
   としか言いようがなかったですよー

勘違いでなければ、同人サークルの方ですよね?
描かれていた宥姉がとってもかわいい。微笑ましい

○阿知賀編最終話のエピローグの撮影にやってきました。
 山歩きをした挙句、かんじんの所は空振りでしたが、
 なんにせよ、決勝進出おめでとうございます。

   ここにも山をさすらう方が!5月にも再トライされたみたいですが
   しっくりこなかったらしいです。道中気を付けて、ご武運を。

こんなん見つかるもんなんですか?
見つけられる・・・の、かなぁ??


○阿知賀編が終わってしまったので来ました。
 福神まで行った後に、吉水神社に行っておみくじ引いて帰ります。
 ステキな聖地をゴチソウさまです。

   福神(阿太中最寄)〜吉水神社で、憧ちゃんルートですね
   福神って縁起のいい名前なので、昔、「福神駅入場券」って特に受験シーズンに売ってたような。今もあるのかな?


○阿知賀編の連載が終わったため舞台訪問に来ました。
 阿知賀編レポートを見て数箇所見逃していたことがわかりました。分かりやすい案内ありがとうございます。
 続いて新道寺・永水を見て回る予定です。

   ほんと、見せていただいたレポートの情報量はすごいですよねー私には案内がなかったらとても自分で探せる気はしません
   福岡と鹿児島にも行かれたようで、かなりの長旅のはずですが、成果はいかがでしたでしょうか?



○阿知賀編の最終回が終わったと聞いて舞台訪問に来させていただきました。
 バスで奥千本まで行って歩いて、色々と見させていただきました。
 決勝進出おめシャス。地元が福岡なので新道寺も回らせてもらいます。

   新道寺が出てきた時は、初め、申し訳ないですけど、「すばら先輩に冷たい」と思ってしまいました。
   思ってしまったのです、が・・・今はそう思ったことが申し訳ないといいますか、これもまた新道寺なりの結束だったんだな、と。



○広島から来ました。ピンポイントで咲いてないのがショックでした。
○今年も吉野の桜を見に来ました♪でもやっぱりちょっと早かったかも・・・ということで、来週来るかもですw

   このお二人が書かれた日付が4月5日。この時には「まだ」 でもイベントのあった13日には「もう」散っています。
   「三日見ぬ間の桜かな」とはよく言ったものです。タイミングを合わせて来訪するのは難しい・・・!



○初めてきました。咲の舞台ということでやっと念願かなって来れました。今日は桜を楽しんでいきたいです。
   上記のお二人とは1日違いなのですが、桜は堪能できたでしょうか。桜ももうちょっと融通きかせてくれればいいのになぁ・・・無茶言うな?


○初めてきました。実は去年もこの上市の駅前に来たのですが、
 その時はまだこの案内所が出来てなかったのですが、
 新しくできて咲コーナーも出来たということで寄らせていただきました。また来たいです。

   千葉から来られた方だそうです。4月12日付なので、翌日のイベントにもいらっしゃったのでしょうか。
   私もそうですが、コーナーが出来たから寄ったと言う方もやはりいらっしゃるようで・・・開設した効果出てますよー



○決勝進出満願成就のイベント後来ました!咲コーナーすばらっ!
 桜の吉野に来れて本当に嬉しかったですし、咲を通じて全国の色々な方に出会い、
 すばらな思い出ばかり・・・本当にありがとうございました!これからも一緒に楽しもうよ!

   もちろん4月13日付です。言いたいことがこの数行の中に全て込められているっ・・・!すばらです!


○絵馬奉納イベントでやって来ました!
 今回も吉野の大自然と吉野の人の温かさに触れられ、
 大変すばらな思い出ができました。また来ます。
 P.S.阿知賀すばらでした!下の居酒屋「ほっけ」美味しかったです!

   こちらは兎来栄寿さんです。宿取れてホントよかったですね
   なお、兎来栄寿さんは7回にわたって4月13〜14日にかけてのことをご自身のブログに書かれてますよ
   詳細にかつ愛情たっぷりです。

そして私が反応せずにはいられない
ちびくろちゃー「よし、のー」


○地元の人ですが、作品で使われている場所がわからないという所をえらぶ小林立先生のこだわりはほんとすごいね〜
 アニメも今日配信日なので、ものすごく楽しみです。
 あ〜穏乃かわええんじゃ〜(小走先輩もかわいいよ)

   後日、大三元四暗刻さんから貸与された宥姉サインを見に、再度来られた地元の方。16話の配信ももうじきですね。
   地元の人もわからない・・・私も番外編で使われた阿知賀地区の三か所、ファンの方の報告がネットに上がるまで気づきませんでした。
   結果だけ聞いてれば、「めっちゃ実家の近くやん!」なんですけどねー・・・いつ取材されたんだろ?


○阿知賀侵略成功でゲソ!
○大阪からチャリで来たゲソ!

   どちらのイカ娘様ですか?ていうかチャリですか!奈良に近い範囲だとしても峠を越えてきたということ。すばらな健脚っ



以上、私が訪れた時までにノートに書かれていた方を
複数回書かれていた方もいらっしゃいますが、1回ずつ抜き出させていただきました。
阿知賀編は終わってしまいましたが、ノートへの書きこみと共に、ファンの方々の交流も今後も広がっていくといいですね。
私も吉野山を訪れる都度、上市の案内所へと寄ってみたいと思います。


それにしても・・・
吉野は昔からそこそこになじみのある地域なので、ある程度知っていると思っていたのですが
昔のテレビ番組じゃないですが「知ってるつもり」であって、まだまだ知らないことは本当にたくさんありました。

「古きをたずねて新しきを知る」という言葉がありますが
「咲」という新しいものをきっかけに、古きものを再確認し、また新しきものも知る。
そうやって人の知識はめぐりめぐって、めぐるたびに層を重ねていくものなのか
重ねていければいいなぁと感じました。



4月13日のイベントをきっかけとした1ヶ月遅れの探訪レポート、これにて完了です。
あの日、あの場所に至るまで、様々な方のご尽力があったことと思います。
苦労も、地震などの思いがけないトラブルもあったことでしょうけど、
おかげさまをもちまして、さまざまな機会を得ることができました。また、今後への励みともなりました。
今回このきっかけをくださった全ての皆様へ、感謝の気持ちを込めて、深くお礼を申し上げたいと思います。



「ありがとうございました!」





ここまで読んでくださった方も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
いずれどこぞに出没することもあると思いますので、ご縁がありましたら、どこかで会いましょう。
物覚えと人付き合いの悪い私ですが、どうかよろしゅうしてやってくださいね。


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