コラム:咲 阿知賀編寄り道〜一ヶ月遅れの探訪レポート〜 ※使用している画像について 風景写真などの類は、自分で撮ってきたものです。 漫画画像については既に単行本化されている範囲では本編・阿知賀編共に単行本から撮ってきました。 2013年5月の段階で未収録のもの、あるいは見開きのページなど私の環境では撮りにくいものについては ヤングガンガンまたはガンガンの雑誌から引用しています。 いずれにしても、無人の風景写真でない限り、肖像権や著作権はそれぞれの個人・団体に帰属するものです。 |
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ここを開かれた方にはもう言うまでもないことと思いますが 去る3月発売のガンガン4月号にて阿知賀編が完結。Aブロック準決勝が終了しました。 最終回を読むにあたり、直前までに前回のコラム7でそれまで思っていたことを整理するだけ整理して さあ、どんな結果でもどんとこい!と覚悟を決めて臨みまして 見届けて、それはもう、ほっとしましたが、 燃え尽きたと言うか、ああ、私の大好きな漫画が終わってしまった、と しばらくぽーっとした状態になっておりました。 はてさて、それからほどなくして私の耳に 4月13日の土曜日に吉野山で阿知賀編のイベントが行われるという情報が飛び込んできました。 私は今までこういうイベントに参加したことがありません。 直接面識のある人はいるはずもないですし、人付き合いが上手いとは正直。 しかし、阿知賀編が最終回を迎えた今、将来咲本編に合流するとは言っても 阿知賀女子学院に関わるイベントはひょっとしたらもうないかもしれない。 だとすれば、これは・・・うん、行くしかない! 会ってみたい人もいる。ためらって過ぎてから後悔するより、ここは一つ出張ってみよう。 というわけで、締め切り数日前になった段階でポストに投函、応募しました。 約一週間後、無事通ったらしく、当日のイベント要項が届きました。 ・・・と、一緒に絵馬も入っていました。 ネットで公開されていた概要から、憧の住む神社のモデルになっているという「吉水神社」に 絵馬を奉納することは知っていましたが・・・なるほど、事前に描いて持ってきて、というわけですね。 てっきり当日その場でもらうものと思っていたので、 一筆書いて、時間があればイラストを添えて・・・というくらいに思っていたわけですが、 ・・・ ・・・私も今までに神社にアニメや漫画のキャラを描いた絵馬が奉納されているのを見たことはあります。 それほど大きいわけでもない絵馬に、よくこんなに描けるなぁと 感心しつつも、まあ自分ではやることはないだろうと思っていました。けど、 この時、目の前にある絵馬を手にしてピーンと思った。いや、これ、描かずにはいられないよ! 届いたその日が4月9日、当日は4月13日。前日は早めに休んでおきたいことを考えると、猶予は3日。 全て平日なので手掛けられるのは、仕事が終わってからの限られた時間。 関東などから遠路はるばる来られる方に比べれば、交通面でよっぽどゆとりのある私ですが それでも何を描く?どうする?と悩んでいるヒマはあまりなく。 足りない技量は愛情でカバーするつもりで、「それ、いつも発揮しろよ」と自分でつっこみたくなるほどの集中力、フル稼働。 1日目 手元の適当なノートに下書きをザーッと描く。 どうせなら赤土先生も含め、阿知賀6人全員描きたい! それも互いに手を取り合うなどして、みんながつながってる絵にしたいなぁ。 というようなことを考えながら、大きさは度外視で、とにかく全体の構図をつかむことにする。 2日目 描いたそのままの大きさでは、絵馬にはとても収まりきらないので 仕事帰りに、昨日のノートの絵をいくつかの倍率で縮小コピーして持ち帰る。 絵馬の大きさと見比べながら見当をつけ、書き込む。 木だし、もともと絵を描く仕様じゃないからしょうがないですが、微妙に凹凸があって描きにくい・・・ 自分でやってみてわかる、実際に描いてきた人の上手さってやつですね。 3日目 何とか鉛筆書きまでできた絵馬にペン入れ ・・・の前に、ふと「ペン入れに適したペンってあるのかな?」 外に飾る=風雨にさらされる日もある ことを考えると水性はまずそうなのはわかるけど、なら油性? その辺、ネットで調べれば、きっとある程度のノウハウはわかるはずだと思って検索 すると、最初それでやろうと思っていた、油性のマッキーではにじみやすいらしきことがわかる。おおっと!? 読み進めてみると、昔からカラーイラストなどでよく使われるコピックなどのペン類が適しているようなので 急きょ、閉店間際のアニメイトへ駆け込み。 書き味を試してみて、個人的には一番しっくりきたピグマのグラフィックペンと せっかくだからと欲も出て、コピックのカラーペンも手に取る。 もっともたくさん買ってももてあますので、3色カラーのイメージで紺系と茶系だけを選ぶ。 そんなこんなで、結局この日だけでは仕上がらず、4日目、イベント前夜に持ち越し
粗がないとは言いませんが・・・まー私にしてはよくがんばったんじゃないかと? 翌日には自分の手を離れるので、記念にパチリ 思えば、私は同人もやったことないので、ネット上での画像データのやりとりは何度となく経験もありますが こうして自分が描いた、それも原本を人様に渡すのは初めてですねぇ・・・ 渡し先が世界遺産にも指定されている由緒ある神社なのはどーなのかというのは、個々の反応におまかせするとして、 一握りでもいいので、これ見てくださった方が、ほんのちょっとでも幸せな感じを受け取ってもらえたらいいなぁ。 ・・・といったところまでが、当日に至るまでの出来事でした!前振り長いよ! 4月13日。明け方 いただいた案内に当日の電車運行ダイヤが記載されていましたので、それを元に移動スケジュールを組み立て。 ギリギリにならないよう、数本早く電車に乗って余裕をもって移動しよう・・・と思ってたら、まさかの地震発生! そう、この日午前5時33分頃、淡路島近辺を震源とする地震があったのです。 淡路島は震度6弱、大阪や奈良でも震度3〜4を計測しました。 幸いにして死者が出るなどの大事には至らなかったよう(それでも淡路島を中心に決して少なからぬ被害)ですが 交通網は大幅に乱れ、私が移動に使った地下鉄も、乗ったはいいものの「遅い・・・」という状態に。 それでもまだ動いているだけ、この時間帯止まっていたと言うJR環状線に比べればずっとマシだったわけですが、 ともかく、地下鉄降りたら即ダッシュ!あわてて阿部野橋駅発の近鉄電車に飛び乗るということになってしまいました。 ・・・まあ、その時は焦りまくりでしたが、後になって思えば、その程度で済んだだけ、私はよっぽど恵まれていたと思いますよ。 はてさて、そんなトラブルもありましたが、私は何とか集合時刻(午前9時)までに近鉄吉野駅前に到着。 やはり地震の影響もあって、予定通りにたどり着けない方もいらっしゃった様子。 特に、今回のイベント企画において中心的な役割を担っておられたと言う、「やましろ☆探訪記」のひでさんは 地震による対応のため、急きょ出勤することになってしまったのだとか。 仕事が一区切りしたら駆けつけてくださると言うことですが、それはホントとんだことと言うしか。 しかしイベントが中止にならなかっただけ、よしとすべきでしょうか。 個人的に、今回の私が吉野を訪れるにあたっての最優先事項、 かねてよりぜひともご挨拶したい方が関東から来られているはず! はい、マンガソムリエの兎来栄寿さんです。 これまでにもコラムの冒頭で触れたことがある、「私以上の玄ちゃん好き」の方です。 マンガソムリエと言うだけあって、たくさんの漫画を読み、ブログで紹介されている方ですが (その紹介文を見て、私が買った本もいくつか) 咲、そして玄ちゃんには特に愛着を持っておられまして。咲関連専用のカテゴリも作られています。 そもそも今回のイベントのことを知ったのも、ブログに書かれていた記事がきっかけですし、 これまでたくさんエネルギーとヒントをもらったお礼は、ぜひ言わないわけにはいきません。 とは言うものの・・・ですよ。 最初に書きましたが、私はこれまでファンのどなたとも一面識も持ったことがないわけでして。 今回のイベント定員36名、遅れてこられる方を差し引いても、その場に30名前後 誰が誰だかわからない状態からスタートなわけです。もちろん逆に、私のことを知っている方もいません。 さあ、どうしよう? まさか「兎来栄寿さんですか?」とあてもなく尋ねるわけにもいかないですし。 しかし「いらっしゃったはずだけど結局わからなかった」は絶対に避けなければならない。 きっと、皆さんの会話を聞いていれば、何かヒントがあるはずだ。 そう思って、集まりの中にまじって聞き耳を立てる私。
ほどなくして、 「この時期の吉野は予約でいっぱいで、まだ宿が決まっていなくて・・・」 ・・・お? 「万一の時は、穏乃になったつもりで、吉野山に野宿するのもありかなとも思ったりして」 どっかで聞いた話ー! ビンゴー! 思い切って尋ねてみたら、一発和了でした! わかってみれば私が吉野駅を出て「咲のイベントに来られた方ですか?」と最初に挨拶をしたのがその方でした。 こちらも自己紹介して、改めて挨拶を無事済ます。 ということで、最優先ミッション、早々にクリアー! ・・・できすぎてて怖いっ(だいぶ運を使ってしまった気がする) ※ちなみに兎来栄寿さんはその後、来られていた地元の方の計らいで無事宿泊先が決まりました。 そんなこんなで個人的最優先ミッションは何とかクリアしましたが やはり地震の影響で、ひでさんを始め、予定時刻に全員集合することはかなわず。 予定を変更して、午前中に行くはずだった吉水神社での絵馬奉納は昼食後に。 まずは、その時集まっているメンバーで先に散策をスタートさせることとなりました。 さて、移動開始。 ・・・の前に。このレポートを見る上での一つの注意事項をば。 〜イベントのあった4月13日、その日の吉野は桜のピークを過ぎていましたが、それでも観光客で大賑わいでした。 参加された方はもちろんのこと、遠方の風景でもない限り、どこをどう撮っても、人が映りこむ。そんな状態。 かといって、一般の人が映っている写真をネット上に無断で掲載するのはちょっとまずい。 顔がわからないように加工すればいいのですが、なにぶん人が多いので、ちょっと大変 ということで、この後、記事と共に写真もいくつか掲載していますが ほとんどのものが、イベント当日ではなくて、後日撮ったものです。その点、前もってお知り置きください〜
あと完全に余談ながら、私の親戚が経営しているお店がさこやさんのすぐ傍にあって、一人勝手に驚く。 昔、何度か買いに来たと言うのに・・・知らんかった・・・めっちゃ近所やん・・・
その後もしばらく坂道を登り・・・ 残念ながら桜の花はほとんど残っていませんでした。 「先週ならきれいに咲いていたんですが」とは案内してくださった地元の方の談 もーっと奥に行けばあるのかもしれませんけど、見ごろの時期に照準を合わせるのって難しいものです。
あちこち回っている間にお昼時とあいなりまして、
10月のイベントにも参加された兎来栄寿さんのブログ、そして散策中のお話だと 前回は阿知賀キャラクターを模した料理を用意してくださったということで 今回も何かサプライズがあるかも?と、事前の期待もありました。 でも今朝の地震の影響か、そもそもが多忙で余裕のないこの時期のためか・・・ おいしかったのですが、目立って特にこれは!と、漫画に合わせた料理は今回はなかったようで。 前もって話をしていたために落胆したのでは?と気遣ってくださったのか、 一通り食べ終わったあとに、兎来栄寿さんが声をかけてくださいました。 確かに直接キャラクターをにおわせるような献立はありませんでした、が!最後に出てきたデザートについて 「でもくずもちの黒みつかけですよ。『おもち』です。『くろ』です」 「その通りです」 「重要ですね!」 「重要です!」 二人でグーする兎来栄寿さんと私。 いや、確かに吉野山的にはごく定番のデザートですよ?くろみつくずもちって。 でも何はなくとも阿知賀を、玄ちゃんを感じることができるか!そこが重要なのです!(力説) 定番なら定番で、それはそれで吉野山は玄ちゃんフレーズにあふれてるってことじゃないですか(大げさ) 「すみなすものは心なりけり」ってやつです(多分) ※補足しておきますと、「すみなす〜」は、幕末の長州藩士・高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」の下の句として 臨終前に見舞いに来た、野村望東尼が記したもの。「(おもしろく生きられるかどうかは)その人の心次第」という意味になります とにもかくにも、歩き疲れたおなかは満たせましたし、近くに座られた方といろいろ話もできましたので、オッケーなのです。 はてさて、食事も終えていよいよ吉水神社へと向かうというところ コスプレ希望で名乗りを上げたと言う方がいるとのことで、静亭にて着替えに入られました。 「咲」でコスプレ・・・女性ならいろいろと選択肢も幅広そうですけど 男性となると、京太郎とかハギヨシかな?と思っていたわけですが、私は! まさかの咲さーん! マジですか!この観光客で賑わう今の吉野で、咲さんに扮するとは・・・ うむむ・・・その度胸、すばらです! ちなみにこの後の移動中、観光に来られた年配の方に、 「どなたか有名な方なんですか?」と尋ねられました。そりゃ目立ちますよね(笑)
※なお、ご存知のことかと思いますが。吉水神社での奉納イベントについてはまんたんWEBの記事で紹介されていますよ。 絵馬奉納後、記念撮影などをして、一行は再び山道を登ります。 玄ちゃん好きとしては「さこや」に続いて押さえておきたい、それが山の上の方にあるこの広場 正確には「老人憩いの広場」と言うそうです。けど、ここまで登ってこれるご老人って相当元気な方だと思うなー どうか末永くお健やかに。 ・・・で、どうしてここが重要かと言いますと(もっともこれを読まれている方はこれまたご存知かもしれませんが)
・・・で、そんな忠孝とはまるで関係なくて何ですが 私がつい反応せずにはいられなかったのは、ここに記されている文字 「松の下露」 「松露袖を濡らす悲哀の情」 ええ、「松」と「露」です。「松」はもちろん松実の松。 そして、「露」は以前こちらで紹介された、松実のお母さんの名前です。 「さっきからあれが気になって・・・」と兎来栄寿さんに話を振ってみたら、同じことに思い至られていたようで、 すぐさま同意してくださいました。 「くろみつくずもち」もそうですが、このへんに反応する人、 世の中広しといえど、兎来栄寿さんと私以外にあと何人いらっしゃるのでしょうかね? そんな、決して多くないであろう感想を即その場で共有できる・・・すばらな体験をさせていただきました。 花見に表紙に松と露 考えすぎと言われてもいい、この広場からは松実の風を感じるのです・・・!(何だそれ) さて、松実姉妹のお母さんの名前と思われる「露子」 今のところは作中に出てきておらず、たとえば、白糸台の淡が設定資料の段階から名前が変わっていることを考えると これで決まり!と判断するのはまだ早いのですが、 露という言葉は、当時の後醍醐天皇の心境をたとえるのに、ある意味ではふさわしい言葉だったのかもしれません。
吉野は南朝の、後醍醐天皇のゆかりの地であることは周知のことですが、 天皇ご自身の気持ちからすれば、「本当はこんなところに来たくはなかった」なのですね。 阿知賀編最終回で衣が言っているように、吉野は古から修験道に関わる土地で 修行のために訪れた僧はともかく、人里離れた交通の難所という面で、天皇が目指した政の場としては絶対に適してはいません。 平家討伐後、兄頼朝と対立して追われる身になった源義経もそうですが、 ここを訪れたのは、ひとえに身を隠しやすいからであって、 願い叶うならば、早々に引き払って、自分にふさわしいと信じる場所へと赴きたかったのです。 後醍醐天皇の願いは常に京都にありました。 そのために、崩御された後、御陵は南向きにつくられるのが一般的なところ、後醍醐天皇陵は北向きです。 北闕門の碑文にもありますが、「玉骨はたとえ南山(吉野山)の苔にうずまるとも、魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」 それが遺言であり、この言葉をくんで北向きの御陵はつくられたのだそうです。 そんな夢破れた失意を、一言で表すと、それが「露」 「露と消える」という言葉もあるように、昔から露ははかなさの代名詞でした。 こんなはずではなかった・・・そんな虚無感の一端が、この単語の中に表れているように思います。 いや、まさか後醍醐天皇も崩御されて670年以上も経った今になって こんなたとえ話に持ち出されるとは思いもしなかったでしょうけども。 しかし、行おうとした政治の在り方や、その結末については、賛否両論あるものの、 「朕の新儀は未来の先例たるべし」と、これからの未来の手本に、自分こそがなろうとした そういう強い意気込みを持たれていたことは、心に留めておくべきことかなと思います。 (そして、意気込みはあっても、失敗する時は失敗するのだということも・・・ 後醍醐天皇にとってはまったく不本意なことでしょうけど、これもまた一つの「歴史に学ぶ」ことかと思います) 他にもこの日は本当にいろいろと案内していただきましたが 中でもとりわけ私の心に残ったのはこの場所でした。
実際に案内していただき、歩いてみましたが・・・ いや、自分で歩いてみてわかったのですが、これなかなかの悪路ですよ?
和がこの道を利用していた理由。 単純に考えると、パターンは2つ。「他に道がないから登るしかない」か「あえて和がこの道を選んでいた」か、です。 しかし前者はないと思います。ガードレールに触れたとおり、この坂道の周りには車が通れるくらいの舗装された道があるからです。 もちろん実際の吉野と、作品世界の道をいっしょくたにするわけにはいきません。 (後のページには吉野から若干離れた大和上市や、阿知賀地区周辺がモデルの場所を制服姿で歩いているシーンがありますが、 これらの道を実際に網羅して通学しているはずもなく、あくまでもモデルだからです) けれど、和の家は和が小6の時にこの奈良へ転校してきており、移動手段として車を用いています。 2、3年ほどの仮住まいとはいえ、車も通れないような道を使わないと入れない位置に、家を構えたとは考えにくいのです。 (和が経済的には裕福な家であり、仕事柄、家を出て動き回ることが多いだけになおさら) となれば、和はあえて選んでこの道を通っていた・・・ その選択と、穏乃たちとの思い出を総合して考えてみると、私が思ったのはこの場面でした。
阿知賀編第1話にて、穏乃や憧に全然追いつけない和の苦しそうな場面です。 穏乃の「おそいよ和っ」は最終話でも挿入されており、阿知賀編の始まりと終わりを象徴するフレーズの一つとなっています。 どうにも勝負にならず、「子供ですか」とぼやくしかなかったわけですが 後に自分が麻雀でへこまされた藤田プロを見て、「いつか倒します」と呟いていた負けずぎらいの和です。 咲との関わりを持ったきっかけにしても、「自分が好きな麻雀で、麻雀が好きでもない人に負けるなんて」というところからです。 ぼやいただけでは、終われない。 きっと少しでも脚力をつけたかったのでしょうね。 実際のスポーツ学的にはどうかは知りませんが、この段差と急な勾配は足を鍛えてくれそうな地形に見えると思います。 麻雀と違って、自分が得意な領域ではないけれども この道を歩くことで、慣れようと思ったのではないでしょうか。 友達と、穏乃たちと並んで走れるように。
そんなことを思いながら、改めて坂道を見下ろしてみる。 あるいは・・・そう、ここはかつての和の夢の跡だったのかな、と。 穏乃たちとの思い出なら、友達になろうと声をかけられた銅の鳥居前など 他にもいろいろとあったと思います。 しかし、阿知賀編が始まる兆しとも言えるこの番外編「高遠原」、その最初の風景がここであった意味 それは、奈良に転校してきて以来よく通った道 であるだけでなく、和がこれまで培ってきた、友達に思いをはせながら、歩みを重ねてきた道 しかし今は一人。友は遠く離れ、今は一人。 過去の夢と、今の寂しさを併せ持つ。 この道が急であればあるほど、あえてこんな道を選んだ和の願い。 そんな努力も、今となっては何の意味もなさなくなってしまったことへの寂寥感。それを、この坂道から感じさせられる気がします。
全てがもう過ぎ去り、無駄になってしまった。切なさ、やりきれなさを覚えずにはいられなかったのでしょうね。 でも・・・決してムダではなかったのです。 私がそう感じるのは、Aブロック準決勝、8月11日の朝。 すばら先輩の試合を観戦しようと思ったら、同じ卓に玄がいるのを見つけ、 穏乃たちが阿知賀女子チームとして全国大会に出場していたことに気づきます。 旧友たちが来ていることを知った和はいてもたってもいられず、 優希・咲と一緒に試合会場に向けて駆け出していくのです。
さて、ここからひでさんの阿知賀編にまつわるよもやま話が始まります。
関連ということで千里山の怜と竜華にまつわる話も 怜の苗字である「園城寺」通称三井寺とも言うそうですが、 これは滋賀県にある「弥勒菩薩」をまつる天台寺門宗の総本山。 この園城寺で、4月8日とされる釈迦の生誕を祝う会。これを「竜華会」(龍華会)と言うのだそうです。 蔵王権現も弥勒菩薩も、吉野の修験道を開いた役小角に関わる存在なのだとか なるほどーこれだけキーワードがズラッと並べば、「偶然」じゃないですね。「当たり」ですね。 これらの穏乃や怜・竜華の元ネタらしき伝承にまつわることについて こちらの方が詳しく考察されていますよ。 そして、穏乃についてもう一つ、例のジャージ 憧に言われるまで、袖の有無の違いはあってもほぼオールシーズンあのジャージで過ごしてきた穏乃ですが、 あれに何の意味があったのか。 ポイントは色ということで、紺色。そして山を飛ぶように駆け回る穏乃の様からイメージされるのは鳥。(あえて猿とは言わないよー・・・) 紺色の鳥・・・つまりカラス。すなわち「やたがらす」 やたがらすとは吉野にまつわる伝説的な生き物で、通りを歩くと「やたがらす」という銘柄のお酒を売っているお店もあります。 ※ちなみに兎来栄寿さんが以前松実館モデルの「さこや」に泊まった時、このやたがらす飲み放題の恩恵にあずかれたとか やたがらすの特徴は3本足であること。それを踏まえていくつかの画像を見ますと
この考察についても、詳しくはこちらのひでさんのHPの記事をご覧になるとよいかと。 やたがらすは道に迷った初代天皇:神武天皇の道案内をした導きの神であるそうです。 それを模した「ジャージ姿の穏乃」とはつまり、 解散して数年来、行く道を失っていた阿知賀女子学院麻雀部を「全国へ」と導いた 先導的な役割を担っていたのではないかというお話でした。 話を聞きつつ、ただただ頷くばかりの私。いやーもう説得力がすごい。 前述の穏乃・怜・竜華に関わる伝承といい、この穏乃にまつわる話といい 自らの推論に加え、他の方の考察を参考にしつつ、今回の話をまとめられたのだと思いますが これはもう納得するしかないな、と思うことしきりでした。 あとで挨拶させていただいたところ、ひでさんも私のコラムのことをご存じだったようで ずいぶんと誉めてくださいましたが、いやはや恐縮です。 いよいよ日も西に傾き、解散の時が近づいてまいりました。 スケジュール変更もあり、当初解散予定の4時よりも随分遅くになって朝利用したロープウェイ周辺へと戻ってきましたが、 かかった時間に見合う、とても有意義な一日だったと思います。
駅へと向かう道で、また電車の中で、皆さんとも徐々にお別れ。 この日行動を共にして幾度となく思ったのは 綿密な取材をして作品中に取り込んだ小林先生の着想にも驚くばかりですし それを探究していくファンの皆さんの熱意もまたすばらしいな、と。 帰りの道中で、「今日のようにいろいろなところを巡って行かれたことがあるんですか?」と尋ねたら 北へ南へ東奔西走、本編舞台である長野やインターハイが行われている東京はもちろんのこと 様々な場所を探訪している方もいらっしゃるようで。 (そもそも今回のイベントにしても、大阪や奈良よりも、関東方面からはるばる来られた方のほうが多かったとか) ありきたりな言い方かもしれませんが、ひとえに作品に対する愛あってのことですね。 それだけ好きになれる作品にめぐりあうと言うのはなかなかないことだと思います。 きっとこれからも訪ねまわられることでしょう。どうかよき旅となりますよう。
『おうちに帰るまでが遠征です』 私の遠征が終わったのは、日付が変わるかどうかといったくらいだったでしょうか。 遠路から来られた方の旅路の終わりはそれよりももう少し先だったでしょうね。 みなさん無事帰路につかれたでしょうか? 4月13日、この日一日、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 はてさて、4月13日は無事終わりましたが、この寄り道コラムはまだもうちょっと続くのです。(我ながら相変わらず長いね…) イベントに参加したおかげで、ネット上でやりとりしていた方々と実際にお会いすることができ、 ひでさん作成の「吉野山舞台案内」という、どこがどの場面で使われたか一目でわかる便利なマップをいただき、 そして絵馬奉納に参加し、様々な場所をめぐって、お話も聞き。 一日のうちにたくさんの内容がつまった、とても有意義な日でしたが、しかし、心残りはありました。 色々と案内していただいたものの、十分に見きれるほどの余裕は、やはり一日では難しい。 そして皆さんが持ってこられた絵馬をじっくり見させてもらう時間がなかったこと。 気持ちの上では、ずらっと全部並べて写真撮らせてください!くらいまで思っていたので、 せっかくの絵馬を鑑賞せずに去るのはあまりにも惜しい・・・ ということで、リターンマッチ!ゴールデンウィークの期間を利用して、もう一度吉野山へ行ってきました。 いただいた資料を片手に、地下鉄・近鉄を乗り継いで吉野駅へ 改めて思うと、大阪市内から吉野って、特急でなければ片道1000円ちょっとで行けるんですね。 5月の吉野は観光ピークだった先月に比べると人は少なく、出店もほとんどなくなっていましたが、 それでも行き来する方はそこそこにおられ、賑やかと言うほどではないけど、新緑も豊かで お店を営む方々にとってはどうなのかはわかりませんが、個人で歩き回るにはちょうどよい環境になっておりました。 (※お察しのことと思いますが、今回掲載している写真のほとんどはこの時撮ったものです)
黒門を通り、松実館モデルの「さこや」横の通りを抜け、蔵王堂、そして吉水神社へ 拝観料を払って、神社の中の展示物を見学。 今回のお目当ては吉水神社の絵馬なので、この時に拝見させてもらったわけですが(※これは拝観料払わなくても見られます) それについてはまた後ほどまとめて。
さあ、吉水神社は今日のコース片道のまだ半分くらい。まだまだ先は長いよー 舗装されているとはいえ、山道。上る、上る、上る。 途中でおっ?と思って立ち止まったのは「吉水院宗信法印御墓」と刻まれた石碑 阿知賀編と直接関わりがあるかはともかくとして、4月5月と続けて訪れれば、どなたのことか私にもわかってきますね。 その名の通り、吉水神社に祀られている南北朝時代の南朝の忠臣とされる僧です。 この方が吉水神社(当時は吉水院)に後醍醐天皇をお迎えしたから、吉水神社は南朝時代の御所となっているわけです。
自分たちが世を去って何百年も経つ頃に、そのような使われ方をするとは思いもよらなかったでしょうが 源義経とその主従といい、勝ち目の薄い主に従って忠誠を尽くす家来、というのは、昔から日本人好みの美談でした。 しかし美談と言うのはめったにないからこそ美談なのですね。それが当たり前なら誰ももてはやしません。 これを「皆もそうせよ」と促そうとしたあたりに、戦争へ向かう熱狂の一端が感じ取れるかもしれません。 戦争が終わり、当時の教育は行き過ぎたものとして、多くのものが廃され、あるいは見直されることになりました。 戦争を知らない世代の私ですが、当時のような教育を受けたいとはもちろん思いません。 ですが、「南朝を支えた忠臣がいた」ことと「軍国教育に利用した」ことは本来時代的にも、内容的にもまったく別のことです。 後にどう使われたかということによって、南朝の人々の生きた足跡が変わるわけではありません。 利用する価値のある美談だからこそ利用もされた、それほどの忠誠であったこともまた確かなのでしょう。 その足跡を見てどう思うか、それは個々の感想にお任せするとして 肯定するも否定するも、何もかもをいっしょくたにはせずに、歴史と言うのは見てみたいものですね。なかなか難しいことですけど。 またいっしょくたにしないと言う意味では、先ほどから否定的な書き方をしている軍国教育にしても 私の祖父は生前、軍隊で受けた教育のことをそれなりに評価していました。 出征し、戦友を喪ったことで、戦争の怖さは重々承知していましたが、 軍隊で鍛えられたからこそ、今の自分があるという自負もあったようです。 「今の若者も戦争に行けとは言わんけど、何年かくらい軍役につくのも悪くは無かろう」と、何度か聞かされたものでした。 私自身は賛同しかねますけど、そういう考え方もできるということなのでしょう。 さて、まだまだ先は長いよー 舗装されているとはいえ、山道。上る、上る、上る。 進んだ先もまだ山道。上る、上る、上る・・・ ・・・ ・・・4月も思ったことですけどね。 前述の「遅いよ和っ」→「穏乃たちが速すぎるんですよ・・・」の場面 これが都会のもやしっ子ってやつかーと憧に軽くからかわれていますが
当時ののどっちがフラフラになっても、平然としている穏乃と憧 その憧をして、「ムダ体力」と言わしめる活発な穏乃。 その穏乃の脚力はもちろん山登りで生かされ、そしてさらに磨かれたわけですが ある意味で、彼女のムダ体力が存分に発揮された?この場面 インターミドル決勝の中継で、和が優勝したところを目撃した直後の穏乃!
ちょっと!背景!山! スタートはテレビの前でしょ君! 我に返るまでの一息で、自分んちからいったいどこまで走ったんだー!? さすがは『阿知賀のやたがらす』・・・すばらっ
その後、さすがに疲れて一休み 上ってきた時に茶店を経営されている年配の方が「帰りに寄ってなー」と声をかけてくださったので せっかくだからと帰りに寄らせてもらいました。わずかばかりでも地域振興に貢献しないとですよー お店ではくずもちを注文・・・と、サービスで甘酒もつけてもらえることに。 アルコールは入っておらず、代わりにショウガが入っていてとてもおいしく。 甘酒と言えば、子どもの頃、桃の節句の時に飲んだ覚えがありますが、正直おいしいとは思えませんで。 口にしたのはまさにその時以来だったのですが・・・うん、これはいける。美味い。
その後に来られたお客さんとしばらく店内でくつろがせていただき、英気を回復したところで出立。 上りと下りの差は大きいとはいえ、上ってきた分だけ道のりがある。がんばるよー ずんずんと来た道を下り、吉水神社まで戻ってきました。 上りの時に、吉水神社を既に訪れていたのですが、 帰りにももう一回寄りました。というのも「しくったなぁ・・・」と 今回は神社内に展示されている品を見物していこうと思って、 受付で拝観料を払って中に入ったのは上でも書きましたが、 その時、受付に座っておられたのが、イベントでお世話になったあの宮司さんでして。 「先月はお世話になりました」って・・・ 一言言えばよかったんじゃないかと。 拝観を終えて、吉水神社を出て、花矢倉近くまで登ってから思いました。早く気づこう!そういうことは! もちろん宮司さんが私のことを覚えているはずはないですが、そんなことはどうでもいいのです。 この5月が比較的のんびりしているからなおさら思う、あの観光ピーク時にイベント協力してくださったことの忙しさ もう大変だったと思います。 お仕事の邪魔をしてはいけませんが、拝観料を払った時に、「ありがとうございました」と せっかくいらっしゃったのだから、せめて挨拶くらいすればよかったのに。 というわけで、帰る前にもう一度と吉水神社を訪れたわけですが・・・この時には受付は別の方に代わっておられました。 つくづく私、要領悪い。 どうやらまた今度吉野を訪れた時の「宿題」ができたみたいです。 タイミングが合えばいいけどなぁ・・・ 致し方なく、それは今後に残しておくとして・・・では気を取り直して、今回最大の目的、絵馬鑑賞!
以下、本名?が書かれているところは伏せつつ(HNの方はそのまま)いくつか(勝手に)紹介させていただきますよー
そして、このダブル玄ちゃんの隣で、寄り添うように微笑んでいる宥姉。 これまた素敵すぎるチョイス。そして上手い!
とまあこんな感じで一通り拝見させていただいたところで・・・最後に少しばかり真面目な話 絵馬がかけられている場所の全体像は、先ほど写真で紹介しましたが、 その右上にやや色の変わった絵馬があったことに気づかれた方もいらっしゃったかもしれません。 日付はいずれも約三年前、平成二十二年四月十一日と、同年六月二十七日 書かれた方は・・・これは実名で構わないでしょうか。「横田滋」さんと「増元照明・優子」さん 言わずと知れた、北朝鮮による拉致被害者のご家族の方々ですね。 「北朝鮮による拉致被害者が一日も早く帰国する事を祈ります」 「必ず救出!安寧な日々を」と横田さん・増元さんのそれぞれの絵馬に書かれています。 絵馬の「掲示期間」が普通どれくらいなのか、私にはわかりませんが、 他と比べて、ひときわ長くここに掲げられていることが明らかなこの2枚。 おそらくは、拉致問題が解決するその日まで掲げられ続けることになるのでしょう。 で、あれば、いつか取り外される日が来ることを願った方がいいのかな・・・? そんなことを考えながら、ここは遊び心をいったんしまいこんで、粛々と一礼をさせていただきました。 さて、「宿題」は残りましたが、その日吉野山で見たいと思っていたことは大体巡ってきたので 夕飯代わりにと柿の葉寿司を買って、駅へと降り、急行に乗る。けれど阿部野橋へ・・・と戻る前に、大和上市で下車
壁面にはこの前のイベントで撮った記念撮影写真。隣には新聞記事 4月14日付、イベント翌日の奈良新聞ですね。こんな記事内容でした。
案内所ではレンタサイクルも扱っているので、レンタル料700円で一台借りて、上市周辺をサイクリング 単行本のカバー絵にもなっている辺りを中心に巡ってきました。
満足です。(撮影アングル的にはかなり「青い」と思いますが。横幅足りてないし。まあ素人はこんなもんです) 途中、写真を撮っている時に、近所にお住まいの方に 「最近ここで写真を撮っている人がいるんだけど、なんで?」と尋ねられました。 持っていた単行本を見せて、ここがモデルになっているんですよ、と説明したところ 「なるほどなぁ、そう言えば案内所にもそういうのがあったなぁ」と納得してくださったようで。 確かにそれは知らない人から見れば、何でこんなところを撮っているのか不思議でしかなかったでしょうね。 でも迷惑だとかそんなことはおっしゃられず、頷いてくださいました。 おそらくはこの場所を特定した先達の皆さんの態度のおかげでしょう。 うん、やはりマナーは大事。今後来るであろう方のためにも、私も気をつけないと、ですね。 そんなこんなで、4月13日のイベント、ゴールデンウィークの単独リターンマッチを経て 吉野山とその周辺を私なりに堪能させていただきました。 最後に絵馬と同様、 私が訪れたその日までに交流ノートに書かれていた皆さんのコメントを (これまた勝手に)一部抜粋して紹介させていただいて今回のレポートを締めくくりたいと思います ○「吉野町観光案内所」開所、誠におめでとうございます。 また「咲‐Saki‐」コーナーも設けていただき、大変うれしいです。 ファンが集えることを願って、交流ノートを置かせていただきます。 平成25年2月9日付、交流ノート最初の執筆はもちろんひでさんです。 ○案内所開設おめでとうございます。 新聞でココの事は知っていましたが、単行本の店舗別特典コンプの為に各巻5〜6冊持っているので 寄付にでも、と思ってたんですが、町長さんが私財で置かれたとのことで、元吉野町民の私としても感慨深いです(笑) 作品と共に吉野が末永くファンの皆様に愛されますように。 後のノートを見ると、本編11巻と阿知賀編5巻を寄付してくださったのはこの方のようです。有言実行、ですね。 ○案内所開設おめでとうございます! 西日本一周の折に立ち寄らせていただきました。 ここの事を旅立前日に知り、咲ファンとして行かない訳にはいかない!と急きょ立ち寄ることに(笑) 吉野町と咲が末永く愛されることを願って・・・ あ、詠さん、Happy Birthday! 2月23日は三尋木プロの誕生日です。西日本一周ですかー3か月ほど前なので、もう旅は終えられているでしょうか。よき旅でしたでしょうか?
○阿知賀編が終わってしまったので来ました。 福神まで行った後に、吉水神社に行っておみくじ引いて帰ります。 ステキな聖地をゴチソウさまです。 福神(阿太中最寄)〜吉水神社で、憧ちゃんルートですね。 福神って縁起のいい名前なので、昔、「福神駅入場券」って特に受験シーズンに売ってたような。今もあるのかな? ○阿知賀編の連載が終わったため舞台訪問に来ました。 阿知賀編レポートを見て数箇所見逃していたことがわかりました。分かりやすい案内ありがとうございます。 続いて新道寺・永水を見て回る予定です。 ほんと、見せていただいたレポートの情報量はすごいですよねー私には案内がなかったらとても自分で探せる気はしません 福岡と鹿児島にも行かれたようで、かなりの長旅のはずですが、成果はいかがでしたでしょうか? ○阿知賀編の最終回が終わったと聞いて舞台訪問に来させていただきました。 バスで奥千本まで行って歩いて、色々と見させていただきました。 決勝進出おめシャス。地元が福岡なので新道寺も回らせてもらいます。 新道寺が出てきた時は、初め、申し訳ないですけど、「すばら先輩に冷たい」と思ってしまいました。 思ってしまったのです、が・・・今はそう思ったことが申し訳ないといいますか、これもまた新道寺なりの結束だったんだな、と。 ○広島から来ました。ピンポイントで咲いてないのがショックでした。 ○今年も吉野の桜を見に来ました♪でもやっぱりちょっと早かったかも・・・ということで、来週来るかもですw このお二人が書かれた日付が4月5日。この時には「まだ」 でもイベントのあった13日には「もう」散っています。 「三日見ぬ間の桜かな」とはよく言ったものです。タイミングを合わせて来訪するのは難しい・・・! ○初めてきました。咲の舞台ということでやっと念願かなって来れました。今日は桜を楽しんでいきたいです。 上記のお二人とは1日違いなのですが、桜は堪能できたでしょうか。桜ももうちょっと融通きかせてくれればいいのになぁ・・・無茶言うな? ○初めてきました。実は去年もこの上市の駅前に来たのですが、 その時はまだこの案内所が出来てなかったのですが、 新しくできて咲コーナーも出来たということで寄らせていただきました。また来たいです。 千葉から来られた方だそうです。4月12日付なので、翌日のイベントにもいらっしゃったのでしょうか。 私もそうですが、コーナーが出来たから寄ったと言う方もやはりいらっしゃるようで・・・開設した効果出てますよー ○決勝進出満願成就のイベント後来ました!咲コーナーすばらっ! 桜の吉野に来れて本当に嬉しかったですし、咲を通じて全国の色々な方に出会い、 すばらな思い出ばかり・・・本当にありがとうございました!これからも一緒に楽しもうよ! もちろん4月13日付です。言いたいことがこの数行の中に全て込められているっ・・・!すばらです!
○地元の人ですが、作品で使われている場所がわからないという所をえらぶ小林立先生のこだわりはほんとすごいね〜 アニメも今日配信日なので、ものすごく楽しみです。 あ〜穏乃かわええんじゃ〜(小走先輩もかわいいよ) 後日、大三元四暗刻さんから貸与された宥姉サインを見に、再度来られた地元の方。16話の配信ももうじきですね。 地元の人もわからない・・・私も番外編で使われた阿知賀地区の三か所、ファンの方の報告がネットに上がるまで気づきませんでした。 結果だけ聞いてれば、「めっちゃ実家の近くやん!」なんですけどねー・・・いつ取材されたんだろ? ○阿知賀侵略成功でゲソ! ○大阪からチャリで来たゲソ! どちらのイカ娘様ですか?ていうかチャリですか!奈良に近い範囲だとしても峠を越えてきたということ。すばらな健脚っ 以上、私が訪れた時までにノートに書かれていた方を 複数回書かれていた方もいらっしゃいますが、1回ずつ抜き出させていただきました。 阿知賀編は終わってしまいましたが、ノートへの書きこみと共に、ファンの方々の交流も今後も広がっていくといいですね。 私も吉野山を訪れる都度、上市の案内所へと寄ってみたいと思います。 それにしても・・・ 吉野は昔からそこそこになじみのある地域なので、ある程度知っていると思っていたのですが 昔のテレビ番組じゃないですが「知ってるつもり」であって、まだまだ知らないことは本当にたくさんありました。 「古きをたずねて新しきを知る」という言葉がありますが 「咲」という新しいものをきっかけに、古きものを再確認し、また新しきものも知る。 そうやって人の知識はめぐりめぐって、めぐるたびに層を重ねていくものなのか 重ねていければいいなぁと感じました。 4月13日のイベントをきっかけとした1ヶ月遅れの探訪レポート、これにて完了です。 あの日、あの場所に至るまで、様々な方のご尽力があったことと思います。 苦労も、地震などの思いがけないトラブルもあったことでしょうけど、 おかげさまをもちまして、さまざまな機会を得ることができました。また、今後への励みともなりました。 今回このきっかけをくださった全ての皆様へ、感謝の気持ちを込めて、深くお礼を申し上げたいと思います。 「ありがとうございました!」 ここまで読んでくださった方も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。 いずれどこぞに出没することもあると思いますので、ご縁がありましたら、どこかで会いましょう。 物覚えと人付き合いの悪い私ですが、どうかよろしゅうしてやってくださいね。 関連記事:咲 阿知賀編その1〜憧・穏乃・玄と「阿知賀こども麻雀クラブ」の子どもたち〜 :咲 阿知賀編その2〜漫画版とアニメ版 2人の玄ちゃん〜 :咲 阿知賀編その3〜怜は一体何を「改変完了」したのか?〜 :咲 阿知賀編その4〜仮説・ドラにまつわる玄ちゃんの記憶〜 :咲 阿知賀編その5〜「話の都合」と言われればそれまで?のことを真面目に考えてみる〜 :咲 阿知賀編その6〜場面と台詞から類推してみると・・・〜 :咲 阿知賀編その7〜いろいろなところにある「きっかけ」〜 :咲 阿知賀編スタンプラリー〜歩いてきました吉野山〜 :咲 阿知賀編その8〜近いようで遠い、「あの人」への距離〜 :咲 阿知賀編キャラクター紹介〜『阿知賀こども麻雀クラブ!』〜 :咲 阿知賀編ヒストリー〜年表(阿知賀女子学院のあゆみ)〜 |