コラム:咲 阿知賀編その4〜仮説・ドラにまつわる玄ちゃんの記憶〜


※使用している画像は主にスクウェア・エニックス社発行「月刊少年ガンガン」連載
五十嵐あぐり先生作画による「咲 阿知賀編」漫画版(雑誌掲載時のもの)から引用しています


今回は推測も推測。仮説と言うより、珍説レベルかもしれません。
そして前回同様、発売されたばかりの号のネタバレを含んでいます。
その点を踏まえたうえで、もしよろしければ以下へお願いいたします。






先鋒戦が終わり、和との再会も現時点では未完に済ませ、次鋒戦が始まりました。

宥姉をみんなで励まして送り出した一方、玄は赤土先生と特打ちを始めます。
主目的は、ドラを切ってしまったことで失われたドラ能力を復活させるためです。

前後半計2時間の対局が
さっき終わったばかりなのですが
休む暇もないですね


ドラを切ることについては、以前の第5話で
「ドラをひとつでも捨てると、そのあと何ゲームかドラが全くこなくなっちゃうの」という
回想の中での玄自身の発言から、

 ●以前にもドラを切ったことはある。(ないとこんな話できない)

 ●何ゲームか来なくなるが、いずれはまた戻る(はず。これも経験したから言えること)

 ●ゲームの場は特に問わず、別に公式戦でなくてもかまわない。
  (そもそも玄は今年が初めての公式戦出場のはずなので)

ということは類推できますので、復活のために努力するのは必然なのだと思います。 

ドラに関わる思い出話をする玄と
傍らで「え〜」と思いながら聞いてる和さん
しかし「そんなオカルトありえません」は発動せず。
現象は信じてないけど、
気持ちは否定したくないので
、とのこと



しかし、また戻るものなら、あんなにためらわなくても、
「ドラ切ったら、その都度復活特訓したらいいんじゃないか?」・・・ていうほど簡単な話ではないのだと思います。

この特訓は一人ではできません。ずーっと付き合ってくれる相手が必要です。
(ネット麻雀とか、詰将棋みたいな、1人でできるものも含まれるなら、また話は別なんですけど、今のところ不明)
今回の場合、赤土先生から玄に話を振ってくれましたが、
ドラ切るたびにそのようなカンヅメ状態になるのだとすると、その分他のメンバーの面倒を見てもらえなくなります。
メンバーに頼んでも同じことです。他校の研究や自分自身の特訓がおろそかになってしまいます。
時間がたっぷりあるならまだしも、全国大会は短期決戦ですからね。

仮に一人特訓でも可能だということが今後わかるようなことがあったとしても
一回切っただけで、そんな耐久レースに逐一突入するのは時間的にも精神的にも負担が大きいし、
少なくとも試合中には絶対に戻ってこないので、後半戦オーラス以外には決して切れません。
つくづく扱いの難しい能力だなぁ・・・


この「何ゲームか」というのも一つのポイントですね。
つまり、玄自身はドラを切ってしまうと、どれくらい戻ってくるのにかかるのか把握してないということ。
切った当時にすぐにわからなかったというのは、やはり相当のゲーム数がかかったことがうかがえます。
「復活までの期間はさまざま」ということなので、玄にとっては次はいつ戻ってくるかどうか見当もつかなかったのです。
ひょっとしたら、今までは差はあっても戻ってきたけど、差があった以上、次もちゃんと戻ってくる保証はなく。
だから「帰ってこなくても私は待ってる」とは、やはり彼女なりに相応の覚悟があった上での行動なのだと思います。



玄本人も知らなかったドラ復活までの基準は「期間」ではなく「局数」であることを知り、
復活までの局数を調べていたのは、ひとえに赤土先生の功績です。
この分析は、当時小学生の玄には無理ですね。中学以降はドラを切ったデータ自体がないし。
ドラで手が縛られ気味の玄ですから、対局において作戦を立てて打つと言うのはなかなか難しいと思いますが、
「やむなくドラを切ることはありえる」と想定していたから、この準備ができているわけです。

実際に復活するまでの局数は、現時点では言及されていません。
私はドラ復活のために練習しまくること自体は想定していましたが、
おそらく準決勝の帰趨を見届けて、決勝にもし進めたならそこで?と思っていたところ、
さっそく用意が始まりました。

次鋒戦が始まったばかりのところですぐ準備を始めてなお、
「そう(ドラ復活)できればと思ってる」と答えているわけですから
すぐにやっても間に合うかどうかわからないくらいの手間はかかるのか?と思います。
とにかく早くやるにこしたことはなし、ですか。 


何?赤土先生がいきなり仕事を始めた?いやいや、赤土先生はちゃんと仕事してますよ。


毎度のことながら、前振りから長くなりました。
まあ、「復活まであと何ゲーム?」という
興味はありますが、そんな先の、読んでみないと全くわからない話はとりあえず今後に任せておくとして・・・
今回はこの「玄のドラ切り」について、私が思ったことを書き連ねていきたいと思います。






 「以前からこども麻雀クラブの昔の牌譜をチェックしてたんだけど、
 玄は小学生の頃、やむなくドラを捨てる時が何度かあった」



特訓準備をしながらの赤土先生の言葉です。
前に切った時は「やむなく」(消極的な理由)で、
今回の「前に向かうため」(積極的な理由)と、
同じドラ切りにしても意味合いは違うようですが、
この「以前にドラを切った」時のことを考えてみます。


とりあえずこの言葉から、中学生以降はドラを全く切っていないことは確定です。
単純な年数で言うと4年以上。クラブ解散中も打っていたかは現時点ではわからないので置くとしても
それでもクラブ約1年間、麻雀部復活〜次のインターハイまでも約1年で計2年
特訓、遠征で打ちまくってた頃さえも、ドラを切ってないのだから相当なものです。


やむなく・・・ということで考えられるケースとしては、

 『明らかに他の牌はロンされるのが確実で、ドラを切らないと回避しようがなかった』

 『まだドラが来る目があったのに、リーチをかけてしまい、ドラをそのままツモ切りせざるをえなかった』

このあたりでしょうか。
後者については、全国大会1回戦でリーチをかけない玄について、三尋木プロがそのように指摘していますね。
集まるドラを使ってどのように打っていくか、
という今の打ち筋がある程度定着するまでには、それなりに試行錯誤があったでしょうし、
失敗例として切ってしまうことがあるのもむしろ当然かと思います。


では「小学生の頃の何度か」とはいつのことなのか。
コラム1でも触れましたが、赤土先生の麻雀クラブ活動期間は「2年間」です(第2話で自身でそう言っています)
  ※ちなみに、ここの発言でもう一つ気になるのは「ここに3年通った」ということ。
   阿知賀女子学院は中高一貫校なので、入学から卒業までいたのであれば、
   通常「6年間」になるはずです。
   なのに、3年(高校のみ)ということは、当時はまだ中高一貫校ではなかったか
   憧のように、高校になって編入してきたか。
   いずれにしても中学時代、赤土さんは阿知賀にいなかった可能性が高いのです。

   念のため。全国で負けたのがショックで中退、とかそういうことではないはずです。
   ちゃんと大学まで行って教員資格持ってるし、阿知賀の経営陣に人気があって
   麻雀教室や、新生麻雀部の顧問を校内で担当すると言うのは
   ドロップアウトしてしまった学生の待遇ではありませんので。

   それにしても、中学は別で、高校になっていきなり現れた1年生が
   それまで30年以上県代表の座を守ってきた晩成を倒して全国初出場を決めるとか。
   そりゃ「レジェンド」にもなりますよ。おみそれしました。


2年間・・・とすると、玄は当時小6〜中1なのですから、クラブ期間に該当する小学生時代は小6の時しかありません。
したがって、この赤土先生の言葉をそのまま受け取ると
玄は、小6の時に、やむをえずドラを切ったことが何度かあったということになります。


ただ、これには二つ、大きな疑問があります。







まず一つ。それは、麻雀こどもクラブの子どもたちが、
「誰もドラを切ったことで、しばらくドラが出なくなった玄を目撃していない」ということです。


  傍証1.麻雀クラブの子どもたちは、玄がドラを切ることはありえないと思っている。(4話)

 傍証2.玄が打ち明けるまで、憧でさえ「玄がドラを切るとしばらくドラが出てこない」ことを知らなかった。(5話)



全国大会1回戦の先鋒戦、阿知賀メンバーの全国への勝負が始まった試合。
この様子を新子家で集まって観戦していた阿知賀こども麻雀クラブの子たちが
「ドラを切って、リーチをかけるか?」という針生アナウンサーの実況に

「えー」
「くろちゃんがそんなことするわけないよねー」

と切らないのが既定事実のように言っている場面があります。


漫画では志崎綾ちゃんがまず「えー」と言い、左にいる桐田凛ちゃんが同意する。
後ろで帽子をかぶった辰巳春菜ちゃんもうんうんとうなずき、
さらに後方で望姉ちゃんも苦笑いをしています。
アニメだとこの台詞の役回りがギバード桜子・山谷ひなコンビになっています。

針生アナウンサーからすれば実況自体は至極まっとうなものなのですが、
かたや、阿知賀にいる人々からすると、
玄がドラを切らないことはみんなが知ってる共通認識でした。
そして、実際切りませんでした。


ただし、この傍証1だけなら
「(ドラを切るとしばらく出てこなくなっちゃうから)
 くろちゃんがそんなことするわけないよねー」と
言葉の前部分をまがりなりにも補完することで、説明できなくもありません。
 
ごく一般的な実況に首をかしげ、
「違うよ」と、さもそれが当然のように話し、
うなずきあう阿知賀こども応援団のみなさん



しかし、2がどうにもなりません。姉の望さんの発案で作られた麻雀クラブ、
玄を除けば最年長で間違いなく最古参の憧ですら、
ドラなし状態の玄を知らなかったというのです。

小6→中1に上がったばかりの段階で、玄は麻雀クラブのナンバーワンでしたし
「全てのドラは玄に集まる!」ことは、ちょっとした自慢でした。

そんな玄の手元に「ドラがこない!?」となればかなりの珍事です。
期間はさまざま(『期間』ということは1日だけで済んだのではなく)で、
それが小6の1年間のうちに数回(最低でも2回)あったというのです。

上述のドラに関する思い出話の場面
和もいるので、玄は中1、憧たちが小6
ここで初めて玄がドラを切った時の弊害を知る憧


なのに玄に聞かされるまで知らない=この目で見たことがなければ、クラブの誰からも聞いたことがない。
クラブの人気者で、麻雀にも熱心な憧です。そしてクラブの子たちは談笑が大好きです。ありえません。
以上のことから、小6の時でさえ、玄がドラを切った状況を説明できないのです。







二つ目はもっと大きな疑問です。つまり「誰がその牌譜を書いたんだ」


ここで牌譜というものがどんなものか説明してみますと
(※注 これは2012年8月17日現在、ウィキペディアで牌譜を検索すると確認できる画像です)


1行目に局・席順・名前・点数・ドラ表示
2行目に配牌(最初の手持ち)
3行目にツモ牌。つまり自分の番が回ってきた時に引いた牌、あるいはポン・チーなどで鳴いて手に入れた牌
4行目は河に切った牌
そして5行目がその局の最終的な手の形

この例に沿って読みますと、維基太郎さんは
1巡目でドラ牌の九筒を引いて、六萬を切った。2巡目で一筒を取って、四筒を切った
3巡・4巡目は引いた四索をそのままツモ切り。5・6巡目は共に九筒を取って、二筒と一索を切った。
7巡目で北を引き、白を切る。8巡目は一萬をツモ切り。9巡目は發を引いて、手元に3枚あった九筒を1つ切ってリーチ
以下10〜16巡目までは上がり牌を引くことなくツモ切りを重ね、17巡目で中を引いてツモ和了り。

・・・となるんだと思います。(それにしてもこの例、点数でかい。数え役満ですか)



以上のようなものを、作中でもよく出てくる牌譜と言います。
1回だけの記入ならともかく、習慣づけるとなるとなかなか面倒そうです。
書いたことも直接見たこともないので、書くのにどれくらいの所要時間になるか、具体的には私にはわかりかねますが
本編の話を例に出してみますと、長野県大会時、風越の非レギュラー部員が決勝のためにと、
録画映像をもとに清澄・鶴賀の牌譜を書き起こしています。
県一回戦・二回戦は半荘一回ずつだったので、×5人分 ×2試合 ×2校で、計半荘20回分です。
これを高校生が徹夜作業(※福路キャプテンの推測ですが、多分的外れではないでしょう)でやったそうです。
部員80名のうちどれだけが手伝ったのかはわかりませんが、骨の折れる作業であることは想像できます。


かたやこども麻雀クラブ。大人はただ一人、赤土先生だけです。
玄が小6時代となると、玄自身の他、穏乃・憧(小5)、
ほかが小2〜幼稚園年長になってしまいます。
まさか赤土先生が複数雀卓が置いてあって、
同時並行でやってる場合もあるのに一人で書いてるとは思えません。
(参考までに:競技麻雀では、選手一人につき一人の記録者がつくそうです)
 ※これもウィキペディアの記述より
大体、クラブ室は開いていても、赤土先生が不在の時もあります。

穏乃や憧は当時から牌譜読めそうですし、できるかとは思いますが、
そうすると牌譜にかかりきりで自分が打てる機会が減ります。
どちらも性格的に明らかに自分で打ちたい派なので、
まめにやるのはあまり気乗りしないでしょう。
そもそもこの2人にしても、部屋に来ていない時があります。

あとの小学校低学年以下組は、すっぱり言ってできるとは思えません。
無茶振りもいいところです。

クラブ室で赤土さんについて和に話す穏乃
この時は、もちろん赤土さん自身はいません

卓上に記録紙?みたいなものが置いてあります
といっても、牌譜が書けるほどの大きさではなさそう

穏乃たちは手を休めていましたが、
もう一つの卓では子どもたちだけで麻雀をしています


ならば玄自身が自分の牌譜をとったのでしょうか?
確かにクラブ解散後も木曜日には必ず掃除をしていたという折り紙つきの几帳面ですので
やってごらんと言われればやるでしょう。
ですが、自分の対局の結果を自分で記録すると言うのがまず現実的ではありません。

「くろちゃー、早く次やろー」
「待っててね。今、牌譜書いてるから・・・」

仮に局の終わりに書くとして、半荘やるとすると、
オーラスは除くとしても最低7回は中断。時間がかかってしょうがない。


あるいは卓自体に牌譜を作成する機能がついているのならば?とも思いました。
でも、ネット等のデジタル環境じゃあるまいし、そんな便利な機能があるものでしょうか。
念のため、検索かけてみましたが、現実には存在しなさげです。

咲の世界は麻雀人口が非常に多い設定なので、もしかしたら現実にはない機能を持った卓もあるかもしれませんが
そんなものが一般に普及しているくらいなら、風越の部員も苦労はしなかったでしょう。
現時点の長野県大会公式戦でさえ使われていないものが、お嬢様校とはいえ、
一度しか全国に行っておらず、その後廃部状態の学校に
廃部前、すなわち約10年も前から置いてあったとはまず考えられません。



何でこれがそんなに大事かと言いますと、
赤土先生が時折、参考として、取れる時に牌譜を取っていた
と言うことなら別に問題はありません。
たとえば、クラブならよくありそうな「クラブ内対抗戦ー!」でもやって
記録を取ったのなら、ごく普通にありそうです。

実際、和が来る前のクラブ内順位が玄1位、憧2位、穏乃3位ですから、
何らかの記録は確かにとっていました。
定期的、あるいはごく一部の時期なら十分可能でしょう。

第1話で憧が和に語るクラブランキングの話


ところが、赤土先生は昔の牌譜を見て、
「ドラ復活までに打った『局数』はほとんど同じだった」とまで言っています。

期間だけならまだしも、局数さえ割り出せると言うことは、
すなわち、ドラが出なくなった時期のみに絞っていたとしても
「玄の全ての対局の牌譜を残してあった」
ということでなければならないのです。
おまけに「三麻や二人打ちでもいいらしい」と特殊ケースまで記録済みです。


こんなことを一体誰ができたというのでしょうか?
しかも他の子どもたちが玄のドラが出ない状況を知らないままに。



以上の

 ●玄にドラが出ない状況をクラブの子どもたちが誰も知らない

 ●クラブでとても玄の全ての対局を牌譜に書き起こせたとは思えない

理由から、小6の時期でさえ、玄がドラを切った→その後復活した状況を
クラブで見ることはできなかったのではないかと思います。
したがって、「玄がやむなくドラを切った小学生の頃」というのは、小6よりもさらに前ではないかと考えられるのです。







(追記)
ここまで書いてきておいてなんですが、牌譜の作成については反証の材料を見つけました。

※ここの2枚はいずれも咲本編1巻の単行本からです。 
本編1巻に収録されている第一話。
咲が清澄高校麻雀部を訪れ、和たちと麻雀を打っている時、
途中から様子を覗いた部長が
そこまでの4人のスコアをパソコンで確認しています。
つまり、結果を何らかの形でパソコンに送るシステムがあるのです。
作中ではっきり示されているのはスコアや勝率のみのようですが、
第一局「対立」(話数で言うと4話目)にて、
咲と打っていた和が不機嫌になって去って行ったことについて、
「咲が優希を勝たせるために、国士無双で和了れたのを見逃して
 その上でわざと振り込んだ」という事情を
後に残された記録を見て、部長が察している場面があります。

スコアだけではこれはわかりませんから、
牌譜も確認できたと考えるのが自然です。


このことから、自分で書かなくても
パソコンと連動するシステムを使うことによって、スコアはもちろん、牌譜を作成することも可能ですね。
阿知賀が10年ぶりとはいえ、1回は全国に出場している一方
この時点で全国経験がなく、出場メンバーも咲を入れてやっと5人そろったと言う、もっと立場の厳しかった清澄です。
そこにもこれが備わっていたことを考えると、
やはり咲の世界では割と一般的に用いられているシステムだと言えそうです。


じゃあ、風越の部員はなんで録画映像から書き起こしたのかというと、
もちろん、みんなパソコンが使えないから!・・・とかそんなことではなく
公式戦のため、成績管理は主催者にあり、牌譜を入手する権限がない
(いずれは公式記録としてインターネット等に上がるとしても、その日のうちには入手できない)といったところでしょうか。



・・・ということで、パソコンさえあれば、雀卓と連動して記録をつけることは可能なようです。
しかし、「はて、阿知賀麻雀部室にパソコンなんかあったかなぁ」と思ったので、
目を皿のようにして、調べてみました。


あった!これかっ!
(1話)赤土先生の実業団入りをお祝いする場面の・・・  隅っこのこれ

形状から察するに、ディスプレイ・キーボード・マウスですね。横にプリンタらしきものもあります。



そして、もう一つ。これは宥姉と灼がいるので、阿知賀麻雀部が再始動してからのことですが(8話)
 
全国出場を決める前の回想で、阿知賀の部室で宮永照の記事を見る場面。
1話と同じ場所に、パソコンそのものは憧の台詞と玄で隠れていますが、マウスとプリンタははっきり確認できます。

8話のこれだけだと、部が復活してから新たに設置したんじゃないの?というふうに考えられなくもないのですが
隅っこにちっちゃくとはいえ、1話の赤土先生壮行会の時点で描かれているのは
さすがに旧型になって現在では買い替えているかもしれませんが、
こども麻雀クラブの頃からパソコンは間違いなくあったと言う確かな証拠です。


なるほどー
つまり、誰かが記録役に回らなくても、牌譜を残していくことは十分ありえるわけですね。
ちゃんと見ればわかるようになっているとは・・・いやはや失礼いたしました。







というわけで、上に書いた二つのうち、「牌譜を書けるとは思えない」については完璧に論破可能でした。
「玄がドラを切った状況をクラブの子どもたちが見たかどうか」は現時点(2012年8月)ではまだわからないですけど。
何にせよ、繰り返しますがあくまで仮説ですので、文は一部手を加えつつ、ここから先も続けて残しておきます。







さて、では、赤土先生の
「以前からこども麻雀クラブの昔の牌譜をチェックしてたんだけど」はどういうことなのか。
最初に言った通りの、推測を通り越して珍説レベルですが
この「こども麻雀クラブ」とは、正確には「こども麻雀クラブのメンバー」、
すなわち玄・穏乃・憧(場合によって和も)たち、クラブそのものよりクラブ員のことを指し、
「こども麻雀クラブのメンバーの昔の牌譜」
つまり必ずしもクラブ活動期間だけに限らず、もっと昔の牌譜のことも含まれているのでは、と

もっと昔なら・・・いたのです。それこそクラブ時代より確かに。
玄の傍にいて、麻雀に詳しくて、
三麻や二人打ちなども含めて玄の全ての牌譜を克明に残せる可能性のある人が。
松実姉妹のお母さんです。

※上の追記の通り、クラブでも牌譜を残すのは可能であることは判明しましたが、
  これは松実館についても同様に言えることで
  雀卓とパソコンさえあれば、子どもたちの牌譜を記録し、かつ保存しておくことはできるということです。
  松実家にパソコンがあるかどうかは作中で明示されてはいませんが
  予約やPRをネットでするのが当然の今日、まさか置いてないってことはないでしょう。


「玄はもう少しドラを大事にしなさい」

お母さんがそんな意味深な言葉を遺しているのは、
玄の思い出の中(※ここまでで何度か取り上げてきた5話の回想)に出てきます。
そして、その言葉を思い出して手役よりドラを大事にしていたら、
いつの間にかドラが多く集まってくるようになったらしいです。

お母さんが生きていた頃は、玄がドラを切ることも珍しくなかったのでしょう。
お母さん(と家族)なら確実に、
玄がドラを切っていた頃の牌譜を残すことができます。
そしてコラム1の最後の方で触れましたが、
赤土先生や新子望姉さんたちをかつて指導したのが松実母であるならば
その接点から、お母さんの遺した牌譜が
赤土先生の手元にあったとしても、それほど不自然ではありません。

ただし、この説にも問題があって、
玄が話している時の様子を見る限り、玄の元に今のようにドラが集まりだしたのは、
お母さんが亡くなった後の可能性が高いです。
でも、お母さんが玄がドラを手放すとしばらくドラが出てこない状況を知るためには、
当たり前ですが、お母さんが生きている間にその状況が発生していなければなりません。

つまり、

「ドラがろくに集まってもいないのに、ドラを手放すとしばらく出てこない・・・?」ということに。


現状の玄のドラ能力は、全てのドラが集まってくるけど、いらないドラまで集まってきて
そして一回切ると今度はしばらくそっぽを向かれるという、幸せというよりは呪いみたいな能力です。
もしかするとこうは考えられないでしょうか?

玄の能力は、本来本気で呪いみたいなもので、確かにドラが集まりやすい兆しはあったとしても、
それ以上に「ドラを手放すとドラがしばらく寄ってこない」方が主体だったのでは、と。

だとすると、お母さんのあの言葉は、ドラを大事にすると大きな点につながるよというごく一般的な指導だったのではなく
「あなたはドラを切るとしばらく出てこなくなるようだから、もう少しドラを大事にしなさい」という
玄の弱点を解消させてあげたいがための一言だったのではないか、と。
玄が遺言のように大事にしてきた言葉です。日常の何気ない場面で口にされたものだとは思えないのです。







・・・というような仮定から、次のような筋書きを立ててみました。
(くどいようですが、珍説ですので適当に聞き流すのが吉ですよ。書いてる本人は大真面目ですけど)



    山に囲まれた自然豊かな奈良・阿知賀の松実館
   夫婦が旅館を営むこの家には、二人の姉妹がいました。

   両親は旅館を経営しつつ、子どもたちに麻雀を教え、
   時には家族と、また時にはお客さんと、知り合いと。
   旅館に行きかう人々と麻雀を通してふれあいを深めてきました。

    この頃松実館を訪れ、一緒に麻雀を打っていた灼が、幼稚園児にして、
   一般とはいえ大人とも渡り合えるくらいの腕前になっていたのですから
   娘である松実姉妹も、母の教えのもと、
   麻雀の実力を着実に伸ばしていったことでしょう。

   宥姉の赤い牌が集まりやすい、玄のドラが集まりやすい能力も
   この頃には既に素養として芽生え始めていたのではないかと思います。

   ところが、ほどなくして、ドラが人より集まりやすいと思っていた玄に
   嘘のようにドラが出てこなくなる時期があることに気づきます。
   幼い玄自身はさほど気に留めなかったかもしれませんが、
   麻雀に一日の長がある母からすれば、あまりに極端で、不可解に映ったことでしょう。
   どうして急にこんなことになるのか・・・?


   娘のためにと、母はとにかく熱心にデータを集めます。
   通常の対局だけでなく、三麻、二人打ち、さまざまな場を想定し、
   全ての対局を牌譜に書き表して、娘につきっきりで調べました。
   そして、出なくなってから復活するまでの期間はまちまちでも、ある共通点
   ドラが出なくなる直前に必ず発生している一つの条件に気づきました。
   玄がドラを切っていることに。

   ドラを切れば、玄の手元にはドラが来なくなる・・・
   だから、母は言いました。

   「玄はもう少しドラを大事にしなさい」と。


   お母さんとしては、もっと色々なことを娘に教えてあげたかったでしょう。
   弱点を長所にし、さらに必殺技へと発展させるために
   もっと研究して、娘の力を伸ばしてあげたかっただろうと思います。

   しかし、そんな時間はありませんでした。

   病気かそれとも事故か

   幼い2人の姉妹の成長を見ぬままに、母はこの世を去ってしまいます。

   娘のために書き表したさまざまな牌譜を遺して。



   牌譜は、母の教え子へと託されます。
   松実家と以前から交流のあった新子家の姉・望さんは
   全国大会のチームメイトであり、かつてのエースでありながら、
   今は長い引退状態に陥っている赤土晴絵を復活させるため、
   子どもたちを招いて、麻雀クラブを開設することを計画しました。
   人集めと場所は妹の憧と二人で何とかしよう。
   その時に、あの子たちを呼んであげたらどうかと、思い立ちます。

   宥姉はもう中学生だからと、
   小学生ばかりのクラブに加わるのをためらってしまいましたが
   妹の玄は幸いにもまだ小6。誘われたのが嬉しくて、喜んで入ってきました。

   そしてそこは、玄にとって、
   中学になっても、高校になっても居続けたいと思うほど、大切な場所になりました。


   「ドラが集まりやすいけど、一度切ったらドラが出なくなる子」
   普通はまずお目にかかれない特徴を持つ子の打ち筋を、赤土先生は興味を持って見つめます。
   確かによくドラが来る。いや、よく来るなんて言うものではない。
   話に聞いていた以上に、ドラが集まってくるその子に赤土先生は思わずうなります。
   なるほど、ドラが集まることはよくわかった。さて、ではドラを切ったらどうなるのか?
   さらに興味がわいた赤土先生でしたが、しかしそちらを見る機会はなかなか得られません。

   母のあの言葉を大事にするあまり、
   既に玄はドラを全く切らないようになっていました。



   思い出を胸に打っている子です。
   まさか「試しにドラを切ってごらん」とも言えません。
   そして、言う必要もありませんでした。
   ドラを切らなくなったことで、昔以上にドラが集まるようになった玄の力は
   そのあたりの子にはそうそう負けないくらいに強力になっていましたし、
   手役よりもドラを大事にする弱点も、
   同い年くらいの子と打つにはほどよい穴でした。

   十分強いと思ったら、ほどほどに弱い。
   みんなと打つならこれくらいでちょうどいい。
   麻雀を打つ楽しささえわかれば、今はそれでいい。
   普通の相手ならば、点を取られても打ち負かせるだけの雀力を
   まず育てることを、赤土先生は決めます。
   こうして母の牌譜は、またしばらくの間、眠りにつくことになりました。



   いつか、ドラを持っているだけでは勝てない。
   過去を乗り越え、前へ進む強さが必要になった時、
   玄が自分の意思でドラを切ることを選んだ時
   その時こそ、本当の意味での特訓を始めよう。

   母が遺した牌譜を手に。
   それを元に得た情報を頭に。
   さまざまな人の支えで育った竜を、真の力へと昇華するために。







・・・どうでしょうか?一応矛盾はないように、流れを自分なりに解釈してまとめてみましたが。
まあ本当に「玄が小6の時にもドラを切っていて」「その牌譜も残っていた」ということなら
あっという間に崩れてしまう脆い仮説なんですけども。(そしてこのうち一方はもう崩れました)

これが割と近いところで当たっていても、まったくもって的外れだとしても
玄の力が今後どのように成長していくのか見届けたいと思っています。


もし成長できなかったとしても、私は玄を応援しています。







それにしても、牌譜について。
これまでの話をしっかり見てさえいれば、ちゃんと矛盾のないことだというのには恐れ入りました。
かっちり考えて設定が作られているんだなぁと改めて感じます。
なんかもう、つくづく節穴な自分が申し訳ないです。

そう言えば、そもそもこれを考える発端になった「玄がドラを切ること」について
12話を見るまで、私は正直
「ここまでドラを持ち続けてきたんだから、徹底して切らないを貫いてもいいんじゃないか?」と思っていました。
でも、それまでの玄の思い出、性格を振り返り
「私はいつも待つほうだった。今まで別れを決めたことはなかったけど、前に向かうために」という展開を見て
いい意味で、ぐうの音も出ませんでした。よかったです。


ここで言っても仕方のないことだとは思いますが、原作の小林先生と、作画の五十嵐先生には
いつもお疲れ様です。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
と付け加えて、今回の話を改めて締めくくらせていただきます。





以上、ここまで読んでいただきありがとうございました。
最後までお付き合いしてくださり、感謝しております。


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