コラム:咲 阿知賀編その1〜憧・穏乃・玄と「阿知賀こども麻雀クラブ」の子どもたち〜 ※使用している画像は全てスクウェア・エニックス社発行「月刊少年ガンガン」連載 五十嵐あぐり先生作画による「咲 阿知賀編」漫画版(雑誌掲載時のもの)から引用しています |
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今回はちょっとつらつらと考察でもしてみようかと思います。 長いですが、もしよろしければお付き合いください。 今回のテーマは、かつて赤土先生を講師にして阿知賀女子学院内に作られていた 「阿知賀こども麻雀クラブ」と、それに対する穏乃たち(※主に憧)との関わりについてです。 阿知賀編を読み始めて私が気に入った理由の一つは、この麻雀クラブの子どもたちの存在です。 理由は単純なもので、主人公たちが子どもに好かれていると言う構図が大好きなのです。 子どもたちの出番は決して多くはありませんが、阿知賀メンバーが全国出場を決めた後、 お茶の間でワイワイと応援している姿は見ていてとても微笑ましかったです。 さて、阿知賀メンバーを熱心に応援している子どもたちですが、 読んでいて、あるいは先日放送されていたアニメを見ていると 応援している中にも、親しみというか、すっぱり言うと人気と言うか みんな応援しているけど、その中でも特に〜のようなちょっとした差がうかがえるのではないかと思います。 (あくまで微妙な差であって、言うほど大きくはありませんが) 今回はその理由について、考えてみたいと思います。 最初の、まず代表的な場面と言えば、やはりここでしょう。 「憧ちゃんだーっ」「アコちゃーっ」 和が穏乃・憧と一緒に初めて阿知賀こども麻雀クラブに足を踏み入れた時 憧が子ども(左:顔が愉快な「ギバード桜子」と右:クラブ最年少の一人の「山谷ひな」)に抱きつかれる場面があります。 その時、クラブ初入室の和はいざ知らず、穏乃もスルー。 そのことと、他にも山で一人で遊んでたのかなイメージもあって 「穏乃は人気がないのか?」と揶揄されたこともあったようです。
でも、ここは逆に考えてみましょう。穏乃に人気がないと言うより、憧の人気が高いのです。 それを前提で考えると、この阿知賀の子どもたちの背景が少し見えてくるのではないかと思いますので。 実際、子どもたちの間で憧の人気は高いもので、穏乃も、後で出てくる玄も、憧には一歩譲る感があります。 とはいえ、玄の初登場時は、ワッと場が軽く盛り上がっていますし、 全国大会で先鋒として登場した時も、当時の子たちが全員集合してテレビの前で騒いでいます。
もちろん、穏乃が大将戦で準決勝進出を決めた時も、大盛り上がりです。 穏乃の結果=チームの進退ということもあって、子どもたち大興奮です。
しかし、穏乃たちのことを指してまとめて言う時には「みんな」か「憧ちゃんたち」であって 「穏乃ちゃんたち」でも「玄ちゃんたち」でもありません。
もともと子どもたちの出番はそれほど多くないのですが、ざっと見た印象だと 子どもたちにとって、麻雀クラブの子ども側の第一人者は憧であり、玄、穏乃は彼女に次ぐといった感じです。
阿知賀が晩成を破って初出場を決めた時に赤土さんが高1。 そのチームメイトだった望姉ちゃんが今何歳になるのかは不明(※)ですが 赤土さんが麻雀をやめてしまい、「活躍した3年生がみんな卒業。そしたら次の年は初戦敗退だよ」 という第1話での穏乃の発言を聞く限り、望姉ちゃんはこの年で卒業した3年生と考えるのが自然でしょう。 そうすると、当時エースで、自分が全国大会へ行くきっかけを作ってくれたとはいえ 全国大会で惨敗してしまった2コ年下の後輩の、その後長いトラウマを克服するために手を貸していたことになります。 実業団が解散になり、赤土さんが阿知賀に戻ってきていた時にも、雪の降る中、車で迎えに来ていました。 かなりの面倒見の良さです。 ※8月25日に発売されたアニメ阿知賀編のファンブックによると、赤土さんと望姉ちゃんは同級生だそうです。 とすると、全国大会当時は赤土さんともども高1ということになりますね。 しかし、それはつまり、高1で麻雀からリタイアしてしまった赤土さんに見切りをつけることなく、 高校在籍時も、卒業後も友人でいつづけたということ。どっちにしても面倒見の良さは揺るがないですね。 そして、おそらくはこの姉の影響を受けて麻雀を始めたのが憧です。 場を提供したのが望姉ちゃんなら、人を集めたのは憧でしょう。 クラブに参加していた当時小1〜小3の子どもたちは憧の人脈で集まってきたのだと考えられます。 呼びかけるなら同じ小学生の憧の方が自然ですし、新子家の面倒見の良さは先ほど述べたとおりです。 この新子望−憧姉妹のラインの尽力で、阿知賀こども麻雀クラブは設立した。 となれば、子どもたちが憧をまず慕っているのは、当然なのかもしれませんね。 そうすると、言うまでもなく、穏乃の参加も憧のツテがあってのことだと思いますが 玄もまた、憧たちよりも後に来たと考えられます。 これまでの性格からして、玄は自分から「入れてください」と積極的に行ける子ではないので 新子姉妹のいずれかに誘われて入った可能性が高いはずです。
一方、灼には誘いがありませんでした。 灼が自ら避けていた節もありますが、憧が「そんな子いたっけ?」というようなことを口にしているあたり 初めから新子姉妹の人脈ラインに載ってなかったと考えた方がよいと思います。 望姉ちゃんが一度子どもの頃の灼に出会っていますが、どうやらそれっきりのようでしたし。 松実姉妹と灼とは幼なじみで、さらに玄とはクラスメイトと縁はありましたが、 玄が自分から積極的に呼びかけるタイプではない、ということだけでなく、 灼が麻雀から一時離れたのは小1の時で、玄がクラブに呼ばれたと思われる小6までに既に5年が経っています。 麻雀を打たなくなった時点で、自然、大人と一緒に打っていた松実館からも足が遠のいていったことでしょう。 小学生の子どもにとって、この5年と言う年月は相当大きい(それまで生きてきた人生の約半分に匹敵します)ので 新子姉妹および玄の念頭から、灼の存在が外れてしまっていたのは無理からぬことだと思います。
「子どもに教えてないで、赤土さんが自分で」という灼の願いからして、誘われてもどの道断ったとは思いますが (※実際、部員募集のチラシを見ていたところを望姉ちゃんに声をかけられ、そっぽを向いた描写がアニメにはあり) 漫画・アニメ版に共通する部室での赤土さんと灼との再会は、どう見てもあの時以来であり、 赤土さん自身がクラブ設立時に灼に声をかけた節はまずないといっていいでしょう。 であれば、「覚えていたのに声をかけなかった」よりも、 「覚えていたけどどこの子かわからなかったので声のかけようがなかった」方がまだ自然かなと思うのです。 まあ、長々と書きましたが、結局そこは重箱の隅をつつくような話であり、 どちらにしても、10年前の1度きりの思い出を、本人の顔含めてしっかり覚えている 赤土さんはいい教師になれます。 大会に出てからの対策や指導が不十分だとか、なんやかやと言われていたみたいですが 教師のような不特定多数の大人子どもと出会う職種において、 人の顔を覚えていると言うのはそれだけで非常に強力な武器ですからね。 さて、話を戻しまして、ここまでざっとまとめると ●阿知賀こども麻雀クラブは指導者赤土晴絵のもと、新子姉妹のサポートを基盤にして設立した ●穏乃・玄・灼がクラブに呼ばれた(あるいは呼ばれなかった)のも新子姉妹と面識があったかどうかに関わっていた というのが私の推論です。 望姉ちゃんの存在なくして、麻雀クラブはありえなかったわけですね。 しかし、だからといって、憧が好かれる理由が親ならぬ「姉の七光」だったなどと言うつもりはありません。 呼びかけて子どもたちが学年問わず集まってくれたのは、ひとえに憧の人付き合いの上手さにあるでしょう。
上述の話を正しいとして踏まえてみると、憧はこのクラブの第一人者です。 であるならば、今いる玄も、今日入ってきた和も、見方によっては「自分を脅かす存在」です。 小6、思春期にさしかかった頃の子どもにとって、自分のグループというのは特に重要な立ち位置です。 女子ならなおさらだと思います。 なのに、転校生の和を自分より強いとさらりと認め、 年上とはいえ、後から入ってきたはずの玄を誇らしげに語ると言うのは、簡単なようでなかなかできることではありません。 とても人当たりの良い性格の持ち主であることが、ここからうかがえます。 たまに歯に衣着せぬようなことを言うこともありますが、
余計なことを言っても、仲間内ならすぐ修復可能なくらい関係ができあがっているのだと思います。 この人付き合いの上手さがあったからこそ、穏乃・和が阿知賀へ進学する意向のなか、 1人だけ麻雀部のある阿太(阿太峰)中に行くと言う選択もできたのだと思います。 「友達のことを思うなら逆じゃないの?」と思われるかもしれませんが、 つまりは、どこの環境に行っても自分ならやっていけるという気持ちがあったからです。
その後、さらに阿太中→麻雀の名門晩成へ進むルートがはっきり見えていたにも関わらず そのルートを蹴って、阿知賀に戻ってきます。 阿知賀の偏差値がどれくらいか知りませんが、合格ラインが偏差値70という晩成よりは確実に下、 麻雀部の実績は比べるのもおこがましいくらい遥かに(というか憧が戻ってきた時点で部がない) そんなところによく戻ってきたものですが これも中学進学と同様に、自分ならやっていける、いや、やってみせるという意思があってのことでしょう。 この選択を、親もまたよく認めてくれたものだというところですが、 ひょっとしたら望姉ちゃんが阿知賀出身と言うこともあって、後押ししてくれたんじゃないかと思います。
さて、ここまで主に麻雀クラブにおける憧を中心にした関係について取り上げてみました。 ここから先はもっと、もう完全に私の憶測の話になりますが、まだよろしければもう少しだけ。 この世界における阿知賀というのは麻雀を基準に考えると、ちょっと面倒な環境です。 というのも、強い(というか個性的な)子がぽつぽつといる割には、先輩後輩による育成機会が少ないのです。 公的な指導者もいません。旧部室を借りて、そこに子どもを集めていたというのは はっきり今はないと言われていた中高はもちろん、小学生以下を対象にしたクラブも他にないということです。 穏乃曰く「この辺は子どもは少ないけど、麻雀ってなるとさらに貴重」だそうですが、 それにしても全くいないわけでもないのに、 生かせる場所が赤土先生の麻雀クラブとか、松実館とか個人的な場所に限られています。 麻雀部の戦績を見ても、まず強いのが、赤土さん・望姉ちゃん(他当時の3年部員が最低3名) 次に来る世代が、現在高3の宥姉を年長とする現在の阿知賀メンバー。この間10年も離れています。 「阿知賀のレジェンド」こと赤土晴絵の活躍で一時盛り上がって、また廃れる。 今後はさらに年下の元麻雀クラブの子どもたちが引き継いでくれるかもしれませんが それでも、クラブ最年長の志崎綾ちゃんたちでも現在中1。 穏乃たちとは3年の開きがありますから、高校入学は卒業と入れ替わりになって重なることはありません。 穏乃・憧と麻雀クラブをつなぐ世代が現れない限り、また遠からず廃れてしまうおそれがあります。 要するに、打ってみると、変わった打ち筋をしていて意外におもしろい子がいるにも関わらず、 また、全国大会出場を決めたら、今も昔もわっと騒いで後援してくれるくらいには興味もあるのに それを長期的に育てる環境が、地域や学校などに備わっていないのです。 赤土さんがやめてしまったら、たちまち詰み状態になってしまった旧麻雀部など顕著な例です。 憧が選んだ、あるいは選びかけたように、強い子は阿知賀じゃなくて中学は阿太、高校は晩成に行ってしまうのだとしても 地元に若干なりともいるんだから、少なくとも同好会くらいはあってもよさそうなものです。 やってるけど弱いと言うならまだしも、ポコッと現れたと思ったら、またポコッと消えていく状態です。 人の興味なんてそんなものと言ってしまうにしても、ちょっと極端な印象です。 以上のような間隔の開き具合からして、阿知賀の麻雀の歴史は、学校を母体にした先輩後輩や監督によるものではなく 親子や兄弟姉妹、近所関係などの個人による世代間の継承が中心になっていると考えられます。 ということは、現在の第一世代である赤土さん・望姉ちゃんを育てたもう一つ上の、 やはり少し年が離れた世代がいたはずです。 それが誰か・・・一人には絞れないでしょうけど(全国出場を決めた時にできた後援会の人たちってこともありえます) その中の一人が、おそらく今は故人の松実母だったのではないかと思うのです。
以上、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。 関連記事:咲 阿知賀編その2〜漫画版とアニメ版 2人の玄ちゃん〜 :咲 阿知賀編その3〜怜は一体何を「改変完了」したのか?〜 :咲 阿知賀編その4〜仮説・ドラにまつわる玄ちゃんの記憶〜 :咲 阿知賀編その5〜「話の都合」と言われればそれまで?のことを真面目に考えてみる〜 :咲 阿知賀編その6〜場面と台詞から類推してみると・・・〜 :咲 阿知賀編その7〜いろいろなところにある「きっかけ」〜 :咲 阿知賀編寄り道〜一ヶ月遅れの探訪レポート〜 :咲 阿知賀編スタンプラリー〜歩いてきました吉野山〜 :咲 阿知賀編その8〜近いようで遠い、「あの人」への距離〜 :咲 阿知賀編キャラクター紹介〜『阿知賀こども麻雀クラブ!』〜 :咲 阿知賀編ヒストリー〜年表(阿知賀女子学院のあゆみ)〜 |