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『がんばるよっ!』 | |||||
作成時期:2012年7月22日 阿知賀編関係で私が描いた最初の一枚です。 時期的に準決勝先鋒戦の後、アニメの地上波放送が終わった頃です。 当時は「Others」で取り上げたキャラクターのうちの一人でした。 連載継続中とはいえ、まさかその後ここまでどっぷりになるとは我がことながら思わなかった(笑) キャラクター紹介として書いたページもありました⇒これ(※2012年7月当時のもの) まだ「コラム咲阿知賀編」シリーズを始める前に書いたものなので 読み込みが甘いと言うか、文章が若い?と言うか、なんか勢いで書いてるなーと。 でもそれが後々の活動や交流へとつながっていったわけですから・・・ 「花もて語れ」の9巻の話ではないですが、やっぱり勢いって、情熱って大事。 |
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『絵馬その1:みんなしあわせになりますように』 | |||||
作成時期:2013年4月13日 咲-Saki-シリーズのみならず、私が初めて参加したオフ会(イベント) 漫画版阿知賀編が完結、つまり準決勝突破を決めてから1ヶ月が経った2013年4月13日、 吉野山で行われた「阿知賀女子学院決勝進出満願成就イベント」において 事前に送られてきた絵馬に、私が描いたイラストです。 当時のことについては、1ヶ月遅れの探訪レポートに記してあります。 初めての絵馬だったので(そしてその後また描くかどうかは当時わからなかったので) 赤土先生含め阿知賀6人全員を描こうと思いました。 探訪レポートにも書きましたが、限られた時間をフルに使って仕上げたものです。 その集中力がいつも発揮できればいいのにねぇ。 |
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『夏の松実姉妹』 | |||||
作成時期:2013年8月31日 この年の9月1日に阿知賀編のメモリアルイベントが吉野山で開かれまして その前日から、遠方より訪れたファンの方々もいらっしゃいました。 で、毎度お世話になっております、玄ちゃんファンの兎来栄寿さんが8月生まれだと言うので、 前日ならギリギリ誕生月だし?ということで描いて贈ったものです。 色がね〜思いのほか、自分のイメージ通りの色が出なかったんですよねぇ。特に肌と空。 空はもっとスカイブルーというのか、明るい青にしたかったです。 買う時もちろん試し描きはしてるんですけどね?でも使ってみると、思ってた色と違ったりして。 肌も全体をとなると、ムラなく塗るのはかなり大変。 そして何といっても一度塗っちゃうとやり直しがきかない! そんな感じでアナログの難しさをひしひしと感じながら、仕上げた一枚でしたとさ。 |
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『絵馬その3:あったかい思い出を胸に、前へ』 | |||||
作成時期:2013年8月31日 これは明確にモチーフがあります。漫画を読んでいたらおそらく一発でわかると思います。 12話「逆襲」の「帰ってこなくても私は待ってる」と心に決めてドラ切りした時の一コマです。 辛いことや悲しいことがあっても、いつか笑顔で前に進めますように、と。 絵からもわかるように、当然のことながら玄ちゃんの今後をイメージして描いています。 けれど、あくまで私の個人的なこだわりですが、できることなら玄ちゃんに限ったことでなく むしろ願いを玄ちゃんたちに託して、吉水神社を訪れた方にも通じる内容であればと思っています。 なので、阿知賀編に関する絵馬は2014年10月現在で計5体奉納していますが どれも文には「松実玄」も、『咲』に関する固有名詞も一切入れていません。 それがいいとも、わかってもらえるとも限りませんが、あえてそうしています。 もちろん作品やキャラクターに関する願いをかけるのも大いにアリだと思いますよー 人それぞれに思い入れ、こだわりがあっていいですよね。 |
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『阿知賀のみんなーっ!全員集合ー!(ver.A)』 | |||||
作成時期:2013年12月31日(奉納:2014年1月12日) 2014年1月に吉野山で開かれたオフ会に際して 阿知賀編のオリジナル絵馬を作りたいと言う依頼がありまして。 奉納先である吉水神社は憧の家のモデルなので、憧をメインにというのが元々の案だったのですが せっかくなので、阿知賀関係者を可能な範囲で揃えてみたいと思い、 2種類に10人ずつ、合わせて20人描いてみることにしました。 こちらはそのパターンA、憧たち麻雀部員とその関係者です。 (パターンBの松実家と阿知賀こども麻雀クラブはくろちゃん日和の方に掲載しています) 巫女装束の憧については、宮司さんからも描いてみたら?と事前にお話があったのですが 同時にその時に言われたのは 「くれぐれも肌を露出したり、胸を強調するようなデザインにはしないでほしい」とのこと 私(宮司さん)自身は別に構わないと思うのだけど、 実際に装束を身につける女性の立場から見ると、あまりいい気持ちがしないと言われるのだそうです。 漫画やアニメ・ゲームなどでは、そういった変形巫女装束はよく見かけますし 『咲』でも永水のはっちゃんや霞さんは肌や胸が強調されていたりもしますね。 もちろん、あくまでフィクションの範囲で描かれる分にはまったく問題はないのですが 巫女装束だからと実際の神社にそれを描いて持ち込むのは、注意が必要な場合もあるようですよ。 (まあ、そもそもね、私が言うのもなんですけど、キャラクターの絵馬を描いて 奉納しようという時点で注意がいるんですけどね。ええ、まさに「お前が言うな」ですけども) もっとも私が描いてる時点で色気なぞ出るはずもないのですが ※そんな画力はない(苦笑) 奉納させてもらう以上、装束や全体の配置などに気を配りつつ、仕上げてみました。 無事、宮司さんにも吉水の関係者の方にも了承をいただけたようでよかったです。
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『絵馬その5:よりよい旅を』 | |||||
作成時期:2014年3月15日 2014年3月15日・16日の玄ちゃんお誕生日会の際に持って行った絵馬です。 この時は絵馬の他にもイラスト描いたり、動画作ったり、結構がんばりました。 せっかくの、またとないかもしれない機会でしたからね。 初めてイベントに参加した時からほぼ1年。阿知賀編関連で奉納した絵馬もこれで5体目。 そして玄ちゃんの誕生日ということで、いずれまた奉納させていただくこともあるかもしれませんが とりあえずは一つの区切りのつもりで描いた一体です。 その1同様に6人描いたら、絵だけで一面埋まってしまったので 側面に「吉野の風と絆を感じつつ、これからも楽しい旅を続けてください」と記しておきました。 漫画にしろ、吉野にしろ、今後どうなっていくのかはわかりませんが ここが舞台となったことが一つのきっかけとなって、縁が広がっていけばいいなぁと願っています。 |
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『カムヒア姫松!ようおこし阿知賀in吉野!』 | |||||
作成時期:2014年7月11日 2014年7月26日・27日のオフ会用にと描いた絵です。 当日夜に吉野川花火大会・灯籠流しがあったので、それに合わせたものにすること。 加えて当初、阿部野橋(天王寺)から姫松方面への阪堺電車に乗れればという案を聞いていたので 姫松と阿知賀、二つで一つの絵にする構図を立ててみました。 あいにく、姫松行きは電車との調整もあって今後に持ち越しということになったのですが イラストの方は「もうそのまま描いてしまえ」と勇み足のまま突っ走ってしまいました(笑) コンセプトとしては「姫松メンバーが吉野に向かって花火を打ち上げる」というものです。 ※ついでに電車に乗ると言う当初の案の名残で電車ごっこもしています。 (画像解説)※やたら長い。人数が多いと配置もいろいろ考えるんですよ〜 大小合わせて総勢25人います。
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『とらいたん イェイ〜!』 | |||||
作成時期:2014年8月10日 去年に引き続いて誕生日絵。今度はデジタルで、当日にいきなり送りつけてみました。 原画は「くろちゃん日和」のページの方に掲載している、 「レッツゴー!阿知賀こども麻雀クラブ!」の中心部分を流用したもの。 それを色紙に塗る時みたいな感じで仕上げて、誕生日のお祝いらしくなるようにしてみました。 ポイントは漫画版でも楽しい時にしばしば周りを飛ぶ花と、小学生三人のお祝いポーズ 「ノリノリの憧に対してジト目で付き合わされている感のある和、という対比がいいですね」と 主旨をきっちり理解してもらえて、私も嬉しかったです。 兎来さん、こっちが投げた球を全力で打ち返してきてくれるので、描きがいがあるんですよね。 いろんな漫画を読み込んで感想を書く「マンガソムリエ」の名はダテじゃないです。 |
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『おねーちゃん おたんじょうび おめでとう』 | |||||
作成時期:2014年8月24日 誕生日関連が続きます。8月24日は宥姉の誕生日ーということで さこや(松実館)にて催されたお誕生日会に参加し、 せっかくなのでと一枚こさえて持っていった色紙です。 おねーちゃんにプレゼントっていったら何だろう?と考えた時 「暖かいし、母が好きだった花があるから」と温室の世話をしていた場面があったことから やっぱり花だなー・・・というわけで花飾りを。 8月24日の誕生花、といってもいろいろあるのですが、その中の一つで「オイランソウ」です。 花言葉が「温和」「協調」「あなたの望みを受けます」といった感じで宥姉にふさわしく思えましたので。 二人をどれだけ嬉しそうに、あったかそうに描けるかがポイント。 精一杯がんばってみましたが、いかがなものでしょうか。 ・・・で、この色紙には裏面も描いておきました。松実母と(手だけですが)父です。 8月は亡くなった人の魂が戻るという、お盆があります。 しかし地域にもよりますが、8月の場合、15日前後がそれにあたり、24日はもう過ぎてしまっています。 あと10日待っていてくれれば、娘の誕生日を祝えるのに・・・ そんなことがふと頭をよぎったので、せめて絵の中だけでもできないかなと思って、こうなりました。 表面で誕生日のお祝いをして笑いあっている子どもたちの周りを包むようにクルーッと回り、 裏面で自分が亡き後、娘たちを育ててくれている夫に 「ありがとう」とお礼を告げて、今度こそ本当に還っていく。そんなイメージです。 阿知賀編全編を通して一度も姿を見せませんでしたが、 早くに妻を亡くしながらも、旅館を経営しつつ娘を育ててきた 松実のお父さんってすごくがんばってる人だと思うので・・・ いつか顔がわかる時があれば、家族揃って、などと思っています。 ところで、この色紙なんですけど、宥姉お誕生日会が終わった後、 誕生日会を行った松実館(さこや)の1階に飾ってもらいました。 ・・・前年のイベントで来られたアニメ監督さんや声優さんの色紙・寄せ書きの傍に。 愛情はいっぱい込めて描いたつもりですけど・・・そこに置かれるとすごくいたたまれない(苦笑) |
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『松実館で96(くろ)日』 |
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作成時期:2015年1月30日・31日
松実館(さこや)でお勤め中の兎来栄寿さんの勤続96日クリアを記念して描きました。 普通節目は100日だと思いますが 私たち的には100よりも96(くろ)ですので(笑) 松実館での様子はブログにほぼ毎日アップされていまして、 それを見ていると、「96日」が1月30日にあたるんだなぁと。ええ、志崎綾ちゃんの誕生日です。 でも、実際お渡しできそうなのは、翌日の土曜日、白築慕ちゃんの誕生日である1月31日。 じゃあどうするかなーって考えたところ、「二人とも描けば問題ない!」ということでこうなりました。 慕ちゃんが指で9を作り、綾ちゃんが6。2人合わせて96。 その2人の後ろに、一緒に働いていると言う意味で三角巾をつけた玄ちゃん。 阿知賀編1巻3話の「ぽや〜ん」を参考に嬉しそうな表情にしてみました。 さらに後方に慕ちゃんの誕生日なので、行方不明のお母さんに代わって ならばあなたは一緒にしてあげなくちゃダメ!ということで耕介さん。 日付に合わせてその日お祝いしたい子を集め、みんな一緒に「おめでとう!」というのがコンセプトです。 それにしても1月30日が綾ちゃんで、続けて31日が慕ちゃんだなんて、私得すぎます。 作成時期的に、「くろちゃん日和C」の色塗りが終わらなくて唸ってた時期だったんですが それはそれとして、この綾ちゃん慕ちゃんを描かずにはいられなくて。 誕生日に立先生が綾ちゃんをアップしてくださった時には 「おそらく日本で一番喜んだと思います!」と、兎来栄寿さんに思いっきり力説してしまいました(笑) 来年またこの日が巡ってきた時には、もう一度このコンビで何か描くのもいいなぁとふと考える。 その頃には慕ちゃんも中学生になってますかねぇ。 |
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『絵馬その6:こどもたちの元気あふれる未来を』 |
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作成時期:2016年5月5日 2014年の玄ちゃん誕生日絵馬から2年ぶりの6体目。 吉野関係絵馬も含めると、ちょうど10体目にあたります。 よくもまあ、そんなたくさん納めたものだ。 吉水神社にある絵馬、数だけなら多分私が一番多いんでしょうね。 宮司さんは「また持っておいで」って言ってくださるんですけど 場所をお借りして、ありがたいやら申し訳ないやら。 せめて失礼のないよう、それなりに気は使ってるんですけど、いかがなものでしょうかね。 今回はもう、こどもの日なのでこどもたちです。阿知賀こども応援団全員。 こどもたちが元気に毎日を過ごせますように、ということで。 |
こちらは吉野山でお世話になっている方々に押し付け・・・もとい、進呈・奉納してきたものです(2013年7月〜) | ||
『吉水神社の宮司さん』 | ||
作成時期:2013年7月28日
そんなところにキャラクター絵馬、いわゆる痛絵馬なんて掲げていいのかい!?と思いましたが 幸いなことに、宮司さんは快く受け入れてくださっています。ありがたいことです。 ちなみにこの神社では犬も飼われており、その犬の名前が「憧ちゃん」です(笑) ※他にも義経や弁慶と言う名前の犬もいます。義経は最近天に昇ってしまったそうですが・・・ 義経・弁慶と来れば、当然静御前もいたそうで、こちらは愛称「ハルちゃん」だったとか。 漫画やペットもOKだというおおらかな宮司さんですが 「いいものはいい、ダメなものはダメ」と自らの主張をすっぱりと語られる方でもあり、 ブログ等の文だけ見ると、過激に映ることもあるかと思います。 いわゆる「右」でも「左」でも、自分の旗色ははっきりしないといかん!ともおっしゃいます。 皆が同じ主張であることはないので、受け取り方は人それぞれでよいと思いますが 私含め、訪れた参拝客に常に優しく、時に熱く語ってくださる方なので、 機会があれば、一度お話を聞かれてみてはいかがでしょうか。 |
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『静亭の女将さん』 | ||
作成時期:2013年8月31日
そんな日頃の感謝を込めて描いてはみたのですが・・・一番難しいと思ったのは、実は歯です。 昔のCMで「芸能人は歯が命」というのがありましたがよく言ったものだ、と思いました。 まさか歯並びを描くのがこんなに大変だとは・・・ 優しい雰囲気が出せるよう、せいいっぱい描いてみた、つもり、なんですけどねぃ。 なお、女将さんにはお子さんがいらっしゃいますが(3人かな?) 中でも娘さんは、あまり人見知りをしないのか、いい感じに絡んできてくれます(笑) |
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『後醍醐天皇と楠木正成』 | ||
作成時期:2013年9月23日 9月(旧暦で言うと8月)は後醍醐天皇が亡くなった月にあたるため 南朝皇居であった吉水神社では毎年9月27日に大例祭が行われるそうです。 来てみないか?と宮司さんに声をかけてもらったのですが、仕事で動きようがなく 代わりにということで、後醍醐天皇と、 同じく吉水神社の祭神の一人である南朝の武将、楠木正成を描いて奉納しました。 後醍醐天皇は検索をかければほぼ真っ先にヒットするであろう肖像画から 楠木正成は皇居外苑に建てられている像をもとに書き起こしました。 一目でわかってもらえてよかったのですが、実際の像は著名な高村光雲の作で、もっと勇壮です。 |
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『静御前と源義経』 | ||
作成時期:2013年11月24日 これは実は宮司さんからのリクエストです。 上記の後醍醐天皇と楠木正成と描いた後、 やはり吉野にまつわる著名な人物である静御前はどうかと言われて (言わずもがなかもしれませんが静亭さんの店の名前は静御前から来ています) 挑戦してみました。 しかし、後醍醐天皇のような代表的な肖像画というのが見当たらなかったので 何をヒントに描いたらいいのか難しかったです。 イラストや大河ドラマの画像をもとにしてまとめてみました。 なお、「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」は 義経と別れて間もなく頼朝方に捕えられ、鎌倉に送られた後 鶴岡八幡宮で舞を命じられた時に義経を思い唄った歌ということで知られています。 |
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『天の川屋の宥姉さん』 | ||
作成時期:2014年3月23日
後方で玄ちゃんに持たせてみましたが 天の川屋さんでは「あした元気になあれ 宥姉」と書かれた 宥姉てるてる坊主を作って、訪れた人にプレゼントしてくださいます。(他にもマフラーを模した飾りなど) 吉野でこれを持っている人を見かけたら咲ファンだと思って間違いない! ・・・と、思っていたら、一般のお客さんにも好評のようで。 てるてる坊主を通して、交流の輪が広がっているみたいで、嬉しいことですね。 |
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『横田さんご一家』 | ||
作成時期:2014年7月26日 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんとご両親(滋さん・早紀江さん)です。 これだけ見ると、どうして吉野山で?と思われるかもしれません。(めぐみさんは元々新潟の方です) 吉水神社の宮司さんは拉致被害者を「救う会」奈良支部の会長をされており、 前年も、この年も4月に拉致解決を願う祈祷が行われ、横田さんご夫妻も出席されました。 折しも、阿知賀編イベントの前日または翌日のことです。 漫画やアニメを手掛かりに訪ねるのも楽しいですけど やはり歴史や人との関わりや、地域が抱えているものに触れていくのも時として必要かなと思います。 (もちろんちょっと触れたくらいで「知った気」になってもいけませんが) 横田めぐみさんの拉致が1977年11月15日のことだそうです。私が生まれる前のことなんですね。 1人の人間が生まれ、成長して、1人前とは言い切れないものの社会人になって それくらいの年を経てなお、解決されていないという事実。やはり恐ろしいと言わざるをえません。 吉水神社には横田さんたち拉致被害者家族の方が奉納された絵馬もあります。 おそらく何らかの形で状況が判明するまで掲げられ続けることになるのでしょう。 であるならば、いつか願いが成就した暁として 絵馬の掲示が終わる時が来るのを祈るべきなのかもしれませんね。 |
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『勝手神社再建成就を祈念して』 |
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作成時期:2016年5月5日 静亭の前にある(あった)勝手神社 1185年、源義経が兄頼朝の追討を受け、吉野山へ潜伏した際 愛妾だった静御前と離れ離れになったのですが その静御前が追っ手に捕らわれた際、勝手神社で舞を見せたという伝承が残っています。 さらにさかのぼれば飛鳥時代、壬申の乱を起こす前の天武天皇(大海人皇子)が 吉野にいた頃に、天女の舞を見たと言う伝承もあるそうです。 そんな長い歴史と舞にまつわる伝承を持つ神社なのですが、 以前の探訪レポートでも少し紹介したように、10年以上前に不審火で焼失してしまい ご神体が吉水神社に移されている状態です。 この勝手神社を再建するための活動が現在行われており、 どうやら長い道のりになるらしいですが、いつか成就することを祈念して描いてみました。 冬の吉野で義経と別れた静御前が、勝手神社の前で舞っている…と、そういうイメージです。 |