キャラクター及び作品紹介のページ その12
マリーベル・フォン・デカッセ (登場作品 「花の魔法使いマリーベル」) |
困った時に呼ぶと現れて、そっと手助けをしてくれる ちょっとそそっかしいけど、元気いっぱいの魔法使い 人の目には見えないけれど、自然を支え、自然と共に生きる小さな妖精たち 彼女たちが、彼らが活躍する「おとぎ話」 幼い頃に一度はそんなおとぎ話に触れ、 夢のような物語に思いを馳せたりするけれど、 いつしか大人になるにつれ、ほとんどの人は忘れてしまう 子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための世界 絵本の中にだけ存在することを許されるはずの、幸せな幻。 ・・・その絵本の中にいるはずの魔法使いが、いきなり現れたりすると? 素直な心は、誰にも真似のできない宝物 これは「友だちになりましょう」とにこやかに手を差し伸べた小さな魔法使いと その手を取った幼い子どもたちと、彼らの住む街で繰り広げられた 花と魔法と妖精と、そして友情にあふれた物語 「花の魔法使いマリーベル」 1992年2月3日から1993年1月18日までの1年間、全50話放映されました。 といっても、私自身はこの本放送の時は全く存在を知りませんでした。 「お?」と思ったのは数年後。ケーブルテレビで再放送されていた時のことで、 学校から帰ってきた時に、たまたま妹が居間のテレビを このチャンネルに合わせていたからでした。 妹が見ていたのも習慣ではなく、これまたたまたまで、 あの日、あのタイミングで帰らなければ、そのまま気づくことはなかったかもしれません。 偶然ってすごいなぁ、というか怖いなぁというか。 ほのぼのした絵柄もさることながら、マリーベルの声を担当していたのが 「あ、この声いいな」と個人的に思っていた本多知恵子さんだったのに興味を持ちました。 そして、見事にコケました。 いい意味で子供向けの作品で、私なんぞが本来の視聴者層であるわけがないのですが(苦笑) ところがこの時の再放送、最終回まであと10話を切ったところで放映が終了してしまい、 前半部分を見てなかったことと、完結まで見られなかったこととで、 かなり悔しい思いをした記憶もあります。 さて、マリーベルの紹介の方に話を移します。 設定に関して特筆すべきことと言えば・・・やっぱり彼女の年齢ですね。 資料によると身長108cmで体重16kg。5月7日生まれのO型と、ここまではごく普通。 しかし見た目にはかなり幼く、人間の年齢にすると5歳くらいだというマリーベルですが 実際には超高齢で、なんと50万5歳! ソレイユ様(500歳前後)やグラニテ(3009歳)でさえまるで比べ物にもなりません・・・ これは実年齢が明確にされている歴代アニメキャラの中でも最年長なんだそうです。 (もちろん年齢不詳も含めれば、マリーベルの両親・祖父母も健在なので そちらの方が遥かに年上のはずですが・・・ていうか、じいさんたちいくつなんだろう?) なんでこんな圧倒的なまでの年齢になっているかというと、正確な理由は他にありますが、 個人的には、「その方が話が作りやすいから」というのもあったのではないかと思います。 これだけ長い間生きていただけに、人間以外に対しては知名度がずば抜けていて、 作品中、どんな世界の、誰に会っても「マリーベル」の名前を出せば 「おや久しぶり」とか「ああ、あの花の魔法使いの」という反応が返ってきます。 いわばマリーベル=フリーパスみたいなもので、彼女がいればどこへ行っても大抵通してもらえます。 (許可を得ていなかったから捕まりかけたとか、実際捕まったという話もありますが) これも長い年月を生きてきたという裏づけがあってこそのことではないでしょうか。 にしてもケタ外れの年齢設定ですね。 ・・・記録と言えば、マリーベルにはもう一つあり、これもことアニメに限れば、の話ですが、 「魔法を使うため」に「特定の姿」に変身する「魔法少女」の最初の一人らしいです。 といっても、変身しなくても魔法を使ったり、魔法を使って変身する、などは前例があります。 ちょっとややこしいですけど。 さて、そんなとんでもない年齢設定を持つマリーベルですが、やることも結構とんでもないです。 魔法使いに限らず、昔からこの手の異種が人間界にやってくる類の話では たいてい「自分が○○であることは決して他人には知られてはいけない」みたいな 不文律があるものだと思いますが、マリーベルにはそれがありません。 魔法使いや妖精を狙っている人以外には、その存在を隠しもせず、 しかも人前でも堂々と魔法を使う。 大抵の場合は、「すごい演出だ」とか「夢でも見ていたのかな」と 周囲の人たちは思い込んで忘れてくれるのですが、 ラストにおいて、ある一連の事件のために、町中の人たちに マリーベルが花の魔法使いであることが知れ渡ってしまいます。 テレビ中継&アナウンスのおまけつきで、ごまかしようもないほどに。 しかしそれでも、この作品のエンディングで提示されているのは、 魔法の力を失わず、かといって魔法界にも帰らず、 今までと同じように魔法使いとして、人間の友だちと一緒に サニーベルの街の中をはしゃぎ回るマリーベルの姿でした。 決め台詞の「マリーベルにおまかせよ!」と満面の笑みで宣言しながら この作品は幕を閉じます。 これがどういうことかというと、普通の人間たちにとって明らかに異質な存在であるはずの 魔法使いがこの世界の、少なくともサニーベルの町の人々に受け入れられている ということを意味するもので、何気ないようですが、なかなかないことです。 正体を隠すこともなければ、魔法を捨てることもない。 ありのままのマリーベルのままでいることが許されている世界なのです。 改めて振り返ってみれば、この作品の中に悪人はほとんど出てきません。 せいぜい泥棒が出てくるくらいですが、役回りとしては悪人と言うよりギャグキャラ。 もちろん壁になって立ち塞がる存在はいます。この作品においては 魔法使いや妖精を付け狙う人々がそうでしょう。 しかし、彼らも極端に法に触れるようなことはしていませんし(※一部例外事例あリ) 「悪」というより、元は純粋であったのに、いつしか歪んでしまった人々といったところで、 最終的にはマリーベルたちと和解を果たすことになります。 のんびりした警官がいるものの、治安も悪くなく(だからのんびりが許されるともいう) 公園の銅像がなくなったレベルが「大事件」で、 子どもが行方不明になれば記念のお祭りを中止にして、みんなで捜索に協力してくれる、 平和を絵に描いたような町なのです。 キャラクターの個性もさることながら、この世界観がすごくいいな、と感じました。 この居心地のよさは、私が今でも好きな「ドラえもん」に通じるものだと思っています。 言うまでもなく、ドラえもんは22世紀から来たネコ型ロボットで 見た目も能力も、普通の人間とは明らかに一線を画すものです。 こんなものが町の中にいたらどうなるか?大騒ぎどころではすまないでしょう。 しかしその異質さを隠すこともなく、ドラえもんは人間と接し、 周りの人たちもその姿を見て驚きもせず、一個の存在として受け入れています。 「日常の中の非日常」が藤子先生の描く作品の一つのテーマだと聞いたことがありますが、 明らかに普通でない存在が、その特質を秘密にする必要もなく、 当たり前のように生きていけるというのはすごいことではないでしょうか? 実社会でそれが完全に果たされることは、まずないことなのですから。 余計な話をさせてもらえるならば、 いつまでものび太の傍にいるようで、いつかは帰らなければならないドラえもんのように、 50万年も生きていながら、未だに子どもであり続けるマリーベルもまた やがて成長し変わっていく友だちとその世界の中で取り残されてゆくことになるはずです。 物語の中で明確にその事実が提示されているわけではありませんが、 それほど難しく考えなくても、浮かび上がる将来の構図でしょう。 でもそれならそれなりに、マリーベルは元気にやっていくのではないでしょうか。 あくまでも魔法使いとして、やっぱり満面の笑みで。 彼女の持ち前の性格と、そんな彼女を受け入れてくれる世界観がある限り。 どんなことがあっても、きっと大丈夫。 だから、この物語のラストは「マリーベルにおまかせよ!」のいつもの一言で 締めくくられるのではないかな、と私は思うのでした。 アニメ全50話と劇場版「フェニックスのかぎ」、 それに防災教育用に作られた「マリーベルの火の用心」「マリーベルの交通安全」を収めた DVD−BOXが全2巻で発売されています。 また、OP・EDは当時アイドルだった中嶋美智代さんが歌ったもので 特に後期EDの「思われている」は私が今でも好きな曲の一つです。 |