- 「坊や、そのきれいな宝石を、ちょっと見せてくれないか」
それは懐かしい光景。懐かしいセリフだった。
- 初夏でありながら、少し肌寒い
- それでもここは楽しい場所だった。嬉しい匂いに溢れていた。
- だから、よく覚えている。そこは懐かしの故郷、サンタローズ。
少年時代に、彼はこの言葉をかつてここで聞いたことがあった。
でも、今は違う。『聞く』のではなく、『言う』側になったのだ
あれから20年近くの月日が流れ、少年だった彼は青年になった。父親になった
そして今、あの時聞いたものと同じセリフを、彼は目の前にいる少年に告げた
そう・・・彼は今、過去の時代にいる
過去の世界で、昔の子どもだった頃の自分に会っているのだ
「えー?でもこれは・・・」
「アハハ、別に盗むつもりはないよ。信用して欲しいな」
あからさまに訝しげな視線を向けてくる自分に対して、青年は微笑を絶やさない。
わかってる。その宝石は君にとって大切な宝物だったのだろう?
それを一番知っているのは、他ならぬ彼自身だったから
「うん、いいよ。お兄さん悪い人じゃなさそうだし」
しばらく宝石と相手の顔を交互に眺めた後に、ようやく少年は軽く頷き、
でも、ちょっとだけだよ?とも念を押してから
青年にその宝石、ゴールドオーブを渡してくれた。
彼の目的は、このゴールドオーブを、自分の持っている偽物とすり替えること
今は深い湖の底に沈んでしまった天空の城を再び浮上させるのに、
この本物のオーブの力がどうしても必要だったのだ。
・・・つまり、結局はこの少年の信用を裏切ることになるわけで
いささか良心が痛まないでもなかったが・・・仕方がない。
騙すのは自分で、騙されるのも自分なのだからとやかく言っても始まらない
『ゴールドオーブ』 その名に恥じないまばゆい黄金色の光を放つ伝説のオーブ
少年にとって、それは宝物だった
初めて夜に町を離れて、幼馴染のビアンカと二人でオバケ退治に行ったレヌール城
怖い気持ちを胸一杯に抱えながらも、彼は進んだ。
そしてついにはその城のボスを倒すことに成功したのだ。
その時手に入れたのが、このゴールドオーブ。
少年にとって、それは勲章だった。自分の勇気の印、大切な思い出。宝物だった
・・・これが、魔物によって砕かれてしまう時までは。
- 「ねっ、とっても綺麗な宝石でしょう?」
「ああ、本当だね・・・はい、ありがとう」
青年は少年のほんの一瞬の隙をついて本物と偽物をすり替え、偽物の方を彼に返す
偽物と言っても、見た目の美しさは遜色ない。だから少年はそれに気づかなかった
渡された光るオーブを大事そうに抱えて、
- 隣にいるベビーパンサーのボロンゴと笑っている
それはとても朗らかな、心から楽しそうな笑顔だった
ああ、この頃の僕は色んな宝物を持っていた。色んな夢を持っていた
- そして、色んなものを失った。
- 大人になって手に入れたもの。そしてそれと同じ数だけの、失われたものたち
これから、失われていく、もの・・・
「坊や・・・」
青年は言った。
- 「何?」
「坊や、お父さんを大切にしてあげるんだよ。それから・・・」
- 「それから?」
「・・・どんなに辛いことがあっても、負けちゃダメだよ。いいね?」
「・・・?」
目の前の青年が急に神妙な顔つきになったのを、不思議そうに見つめている
- この表情の意味も、無論青年は知っている。
何で知らない人がこんなことを言うのだろう?当時、彼はそう思ったのだ
「うん、大丈夫だよ。こう見えても僕は強いんだからさ!お父さんだって守ってみせるよ」
- 真意は伝わらなかった。未来を知らぬ少年に伝わるはずもなかった。
だから彼は笑って言ったのだ。どんと胸を叩いて、誇らしげに。
- おばけ退治の経験が自分に自信をつけていたことを思い出す。
- 微笑ましい様に、我ながら笑ってしまうが、それもまた、哀しい。
- そうだね。確かに普通の子どもに比べれば、君は・・・僕は強かったかもしれない
でも、そうじゃない。そうじゃないことを思い知らされる日が来る。
- このゴールドオーブが砕かれる日・・・
・・・君は、その目の前で、父親を・・・殺される・・・
- 一番助けたかった人の、一番大事な時に、君は足手まといになってしまうんだ
それは言えないこと、もう決まったことだ。定まった運命は、変えられない
- 「大丈夫だよ。どんなにツライことがあっても、僕は負けないよ!ボロンゴッ、行こっ!」
もう一度、目の前の青年を元気づけるかのようにそう口にしてから
少年は明るい笑顔を振りまきながら、駆けだしていった
その先にあるものを知らない。おびえも何もない、まっすぐな瞳だった
あんな顔を、かつては自分もしていたのか
子どもならではの、純粋で無垢な輝き
このオーブとともに、彼はもう無くしてしまった、遠い昔の忘れ物
初夏の眩しい光の中を元気に駆け抜けていく後ろ姿
青年は知っている。あの背中には、もう追いつけないことを
青年は知っている。あの笑顔がやがて凍りつくことを
これからあの少年に起こる運命を、彼は知っている
青年は、ふと手にしたゴールドオーブを握った。
強く、強く握り締めた。
自分自身の勲章を。たとえ、これが後に砕かれて、己の手から離れてしまっても、
記憶と共に、勇気の証はこの胸の中に片時も離さず残り続けることを、噛み締めて
『どんなにツライことがあっても、僕は負けないよ』
- ・・・その言葉を、今の気持ちを忘れないでくれ
自分に言うのも変な話だけれど、元気に生きるんだよ。絶対に、負けるんじゃない
そうだ。負けちゃ、ダメだ。諦めちゃダメだ。
頑張れば、生き続ければ、いつかきっと報われる日がやってくるから
だから・・・諦めちゃ、ダメだ
そう願うことしかできない
わかっている。わかっているけど・・・彼には何もしてはやれないのだ
このオーブを手に入れることだけが彼に許されたこと。それ以上のことは出来ない
時計の砂は戻らない。こぼれた時は、命は・・・二度と、帰ってはこないから
(がんばれ・・・がんばれ・・・)
光の中に消えゆく少年の姿は、もう、この手には届かない。
青年は、今はただ、その背中に向かって声援を送り続けるだけだった・・・
|